日本におけるカルヴィニズムの反日的志向

  「21世紀を迎えたカルヴィニズム―JCAの使命の継承と展望―」(市川康則著2002年)という論文がある。カルヴィニズムとはフランス人の宗教改革者ジャン・カルヴァンの思想と信仰を継ぐ集団を言い、教派名としては一般に改革派や長老派を標榜している。JCAとは日本カルヴィニズム協会の略称である。この中で「日本における歴史的カルヴィニズムの発展の企図にとって不可欠な日本的文脈研究において、最大の不可避的主題また課題は『天皇制』についての批判的研究である」という一文がある。つまり、天皇制はカルヴィニズムの発展を阻害する制度であり、これを打倒するために研究しなければならないということである。この見解は実に不見識極まりないものである。いかに反論を展開する。


  まず、天皇制という用語を問題にする。これは共産党がその昔に天皇・皇室廃絶のために言論活動をするにあたってその批判的立論を容易にするために創作した用語である。つまり、天皇という存在は日本にはもともとはなかった、後付けの差別構造制度であるというわけである。そもそも立場を異にする無神論を標榜する共産党と同じ用語を使用して天皇批判を展開するとはその「歴史的カルヴィニズム」の名が廃れるというものである。歴史性を重要視する集団内自意識があるならば、批判対象の歴史性をも熟知しておくべきであろう。


  天皇陛下について少し述べておきたい。日本国は天皇陛下を国の象徴―現行憲法で保障され、歴史的にも象徴的存在であった―として崇める歴史と伝統のある国柄である。天皇陛下の存在は日本という日本国にとっては必要不可欠であることは憲法上も認められ、国民的意識においても新年の皇居一般参賀の盛況ぶりや行幸の際の国民の歓迎ぶりからみれば、どれほど国民の信と親を集める存在であるかは一目瞭然である。また、キリスト教国家を含む外国においてはその公式訪問においては日本の国家元首として最高の待遇を受けている。あの英国のエリザベス女王よりも国王的地位は上位なのである。しかも多くの国民は知らないが、天皇陛下の本質的職務は日本国の大祭司である。天皇陛下は節目節目日々日本国民のために祈って下さっている。


そうした天皇陛下を自らの勢力拡充のために邪魔だと批判するキリスト教組織とはいったい何様のつもりなのだろうか。ここで問題になってくるのは国家と宗教の関係である。カルヴィニストは聖書に基づき、自分たちの主張が最も聖書に則っていると考える。それは政教関係においてもいえる。聖書的政教関係つまりカルヴィニズム的政教関係とはいかなるものなのか。それは1500年代にスイスのジュネーヴで宗教改革者カルヴァンが行っていたジュネーヴ的神政政治なのか。カルヴィニズム側にはなんらかの具体的な聖書的政教関係論があるのだろうか。

ここで詳論はできないが、政治は改革派神学の観点からいえば一般啓示と一般恩恵の管掌事項といえよう。ということは、各地域・各国に各々の歴史と伝統に則った政治体制があってよいのではないだろうか。また、古来政治は宗教と密接に結びついており、いわゆる政治的正統性の主張は宗教に根源をおくのが古代の習わしであった。このことから歴史の古い王朝国家であればあるほど、宗教と密接不可分な政治制度を有しているのは嫌悪の対象ではなく、むしろ誇りであるといえよう。もし、カルヴィニズムが日本における天皇概念を批判し、その廃絶を願い、そのうえでの神政政治体制を願うならば、それは一般啓示論や一般恩恵論に反している。

むしろ、それは「天皇制」政教一致を批判しつつも「カルヴィニズム」的政教一致を望んでいる、という矛盾を犯してしまっていることになる。カルヴィニズムの考え方においては政教一致はいかなるありようにおいても反聖書的な様態であるはずである。なぜなら、キリストの再臨の時はいまだ来たっていないからである。


   理想の政治体制に関して聖書には明示されていない。長老制はあくまで教会政治制度である。国の政治体制は種々異なる多数の政治主張がありうるし、そこにはキリスト教徒以外、カルヴィニスト以外の市民も存在する。もし、これを否定するなら、聖書の歴史観すなわち神の国のnot yet性を否定することになる。少なくとも今の世においてはキリスト教徒が大多数を占めない国ではその国の拠って立つ宗教的正統性は非キリスト教色でもよいのである。この結論に鑑みれば、カルヴィニズムの勢力拡大のために天皇制が邪魔であるという見解は一昔前の共産党の主張と同じであり、それは革命家、体制破壊論者、伝統破壊論者のそれであるにすぎない。
  

  市川は「天皇制は政治体制の形態ではあるが、しかし、日本における有形無形の全体主義・集団主義の典型、まさに“象徴”である」という一文を批判的文脈においてものしている。ここで「全体主義」とは当然戦中のファシズム的全体主義を意識しての詐術的論理に基づく表現であろう。つまり全体主義という戦時社会を象徴する表現を使うことによって天皇に戦争イメージを結びつけ、天皇は社会にとって危険な存在であることを印象付けようとしているようである。天皇と全体主義とは直接的関係性はない。また、象徴的位置づけが悪いのであれば、キリスト教国家である英国における国王の位置づけはいったいどうなるのだろうか。政教分離の原則から言っていかがわしいものといいうるのだろうか。

  また、全体主義と並んで集団主義という用語も使用している。この集団主義が力を発揮し、全世界に感動を生ぜしめた出来事があった。それが2011年3月11日の東北大震災における被災者たちの秩序ある行動である。そこには海外によくみられる暴動や略奪は起こらず、社会的混乱は予想外になかった。これについて海外の人々は驚嘆した。日本人にとっては当たり前の光景なのだが。だれもがこのとき助け合い、弱者を優先し、一致し、和を乱さずに行動することが必要と感じたはずである。このことを集団主義と評し、批判することがカルヴィニストはできるのだろうか。被災地にあったカルヴィニストたちも天皇陛下を国家元首(象徴的元首)として戴く日本国民の歴史的・伝統的常識や社会的恩恵に浴したはずである。少なくともカルヴィニストのこの天皇批判にみられる反日的志向は改革派神学的ではないし、聖書的神学でもないし、かえって日本史的考察や精神史的考察の不十分さと生活体験に裏付けを持たぬ机上の空論であることを暴露している。
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福音伝道と日本のクリスチャンのための祈り

テサロニケの信徒への手紙(口語訳聖書より)

伝道者パウロがテサロニケの町にある教会に書き送った手紙の一部です。パウロは以前にピリピの町でテサロニケの信徒たち
とともに遭遇した迫害を接点に話を進めています。

第2章
2:1兄弟たちよ。あなたがた自身が知っているとおり、わたしたちがあなたがたの所にはいって行ったことは、むだではなかった。 2:2それどころか、あなたがたが知っているように、わたしたちは、先にピリピで苦しめられ、はずかしめられたにもかかわらず、わたしたちの神に勇気を与えられて、激しい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語ったのである。 2:3いったい、わたしたちの宣教は、迷いや汚れた心から出たものでもなく、だましごとでもない。 2:4かえって、わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。 2:5わたしたちは、あなたがたが知っているように、決してへつらいの言葉を用いたこともなく、口実を設けて、むさぼったこともない。それは、神があかしして下さる。 2:6また、わたしたちは、キリストの使徒として重んじられることができたのであるが、あなたがたからにもせよ、ほかの人々からにもせよ、人間からの栄誉を求めることはしなかった。 2:7むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。

<祈り>
主イエス・キリストの父なる神。万物を創造し、地上のあらゆる出来事の主催者なる神様。
あなたは偽りを嫌い、真そのものです。また、十戒において「汝、隣人について偽証するなかれ」とモーセを通じて私たちは教えられています。
日本を侵略国家だと強弁し、韓国や支那に大きな被害を与えたとうそぶき、戦地売春婦の嘘をうのみにし彼女らのゆすり・集りを許し、日本を貶めることが自分たちの使命だと考えている日本人クリスチャンに聖霊を与え、正しい認識に改めさせてください。
あのマッカーサー元帥でさえGHQ司令官の任を解かれた時、上院公聴会で太平洋戦争は過ちだった、日本は自衛戦争であったと自らの認識の過ちを公の場で表明しました。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

河童の精神医学的解釈

河童(かっぱ)は、日本の妖怪・伝説上の動物とされています。「かっぱ」は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化したものだそうです。体格は子供のようで、全身は緑色または赤色。頭頂部に皿があることが多いといわれています。皿は円形の平滑な無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされています。口は短い嘴で、背中には亀のような甲羅が、手足には水掻きがあるとする場合が多い。亀のように四本足で歩く絵も見受けられる。

甲羅を紐で結んでいる絵も多く見受けられるので、甲羅様の道具を蓑のように使っている人間であるとも考えられています。ごくまれに甲羅でなく蓑のようなものに背中を覆われている絵もあるそうです。

河童の正体は、水死体であると推定されることが多いらしいです。水死体は、皮膚は緑色をしており、頭髪がすり減っており(川底との摩耗のせい)、肛門は拡大している。これらの点は、体色が緑で、頭部がハゲで(皿がある)、尻子玉を抜かれた、という河童の特徴に合致する。水死体は体がガスで膨張していることもあり、これが河童の甲羅に見誤られた可能性もある。また、すっぽんの姿に似ていることから、すっぽんを見間違えた可能性も指摘されている。

以上はwikipedia「河童」の項目からの抜粋です。

河原には被差別民が暮らしていました。昔から地方から流れ着いたものが無税であった河原に住みつき、 京の鴨川の河原など では売春を行い、芸も見せるという芸能者が住まいとしていました。歌舞伎の起源である 出雲の阿国なども四条河原で踊っていたといわれています(勿論、売春もあったでしょう)。つまり、河原は常民の住むところではなかったわけです 。そんな中に親に捨てられた子供がいたかもしれません。なかには知的障害あったかもしれません。あるいは面倒を見てくれていた親が死に、身内が市に独り身となった知的障碍者(ダウン症など)や精神障碍者が河原で人知れず過ごすようになったかもしれません。彼らは年をある程度とっており、頭部は剥げていかもしれません。

魚を生で食い、ときには民家に泥棒にはいったり、畑で作物をかすめ取っていたかもしれません。ときには知的障碍者特有の人懐っこさから、子どもなどに相撲をとろうと声掛けしていたかもしれません。新地が緑色というのはよくあわかりません。障碍者にみらっれう特徴ではありません。染色体異常から色素異常を起こしている障碍者がいたかもしれません。ただ緑色といいうのはちょっと想像に難いですね。色白というのもあり得ないでしょう。河原で過ごすわけですから、相当に日焼けはしているはずです。背中の甲羅は彼らが着ていた蓑をそういう風に見誤ったのかもしれません。

そういうように私には河童は単なる伝説的存在ではなく、むごい境遇の障害者に見えてなりません。

正統性の主張

支那や北朝鮮、韓国の現体制の正統性について思う。
上記三国はいわゆる特亜三国だが、その正統性は日本軍の侵略から国民を守ったというものだ。
もちろん、日本軍は侵略した事実はないし、北朝鮮や韓国と戦争したこともない。
支那との戦争は、現政権の中華人民共和国とは緯線も交えてない。というのも中華人民共和国ができたのは戦後である。
日本が戦争した相手は中華民国であり、現在の台湾に逃れた国民党政権である。尤も当時国民党軍は国共合作により、すでにコミンテルンの支配下に置かれていたというのが実情である。
さて、政治体制の正統性は特亜三国にみられるように事実の捏造に基づいている。

これにヒントを得て思うのだが、もしかするとユダヤ人の歴史を記した旧約聖書も体制の正統性を謳った代物ではないかとふと思ったりした。大きな声では言えないが。つまり、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の正統性についての主張ではないか。一般に旧約聖書はユダヤ人のアイデンティティーの書であり、彼らの歴史であり、それは神に選ばれた民の事績であり、自民族へのたえざる警告の書、啓発の書である、とされる。

しかし、もしかすると、このユダヤ人を中心にした神と被造物の書は、あの特亜三国の正統性の主張ゆえに捏造が施された歴史と同じようにもしかすると捏造の歴史かもしれない。そして支那・韓国・北朝鮮が日本軍の侵略から国民を守ったという嘘によって世界中が騙されているように、ユダヤ人は神に愛され、選ばれ、導かれ、守られてきたという嘘によって世界中が騙されているのではないか。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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