受苦する神―栄光の神

神は全能であるというとき、その神は不変の神なのか、それとも被造物とりわけ人間に共感し、同情し、ともに苦しみ、助け,
救う神なのか。

神は全能であるがゆえに苦しむこともなければ、痛むこともないはずである。
しかし、神が全能であるならば、人間と苦しみを共にすることはできないのか。

この答えは全能という神の属性からは結論をつけがたい。
ここでほかの属性として、愛から考えたい。

神は愛なる神ゆえに、人間の苦悩を放っておけない。
そこで神はなにがしかの方法で人間の苦しみを取り除こうとされる。
父なる愛の神は独り子を世に遣わし、人間の苦悩を負わせた。
それは人間が苦悩を避けられるようになにがしかの処世術を教授するというのではなく、
人間が持つ苦悩を神が身代わりに引き受けるという形であった。
それが十字架において実現した。
そしてその人間の苦悩が克服されたことがイエスの復活において示された。
これが聖書が示す代理受苦である。

聖書は人間の苦悩の原因を神に対する罪にあるとみている。
そのため、ある事柄の代理行為としてのイエス・キリストの十字架は、
種々の人間的苦悩が集約されたかたちなのではなく、
端的に父なる神による罪人への処罰行為を意味している。
苦悩の原因を神への背信とみる旧約聖書以来の伝統の中で人間の苦悩は解釈されている。
そして苦悩を取り除くために、その根本原因としての罪を赦すために、贖うために独り子イエス・キリストが
代理贖罪としての死を遂げた。
それが十字架である。

全能なる神はその全能性を愛でもって表現した、実行した。
それが御子イエス・キリストの生誕であり、十字架であった。

代理受苦せる神を人間は自らの身代わりとなって苦悩・苦痛・罪・死をひきうけてくださった方として感謝する。
その感謝が賛美を生み、イエス・キリストを遣わしたもうた父なる神を栄光化・栄誉化・名誉化する。

こうして受苦する神が人間の感謝と賛美を通じて栄光の神となるのである。
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本名ではなく、偽名を使うことを正しいとする判決

在日男性に本名強要は違法=勤務先社長に賠償命令―静岡地裁と題して、
(時事通信 4月24日(金)13時26分配信 )
こんな記事がありました。
(以下引用)
 勤務先の社長が本名の韓国名を名乗るよう強要したのは人格権の侵害などとして、静岡県の40代の在日韓国人男性が社長を相手に、330万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が24日、静岡地裁であり、大久保正道裁判長は社長に55万円を支払うよう命じた。
 大久保裁判長は「氏名は人格の象徴。在日韓国人に対して使用する名前を強制することは自己決定権を違法に侵害する」と指摘。男性が入社後一貫して日本名を名乗っていたことなどから、男性に韓国名を名乗る意思がないことは認識できたと判断した。
 判決によると、男性は韓国籍だが日本で生まれ育ち、日本名の通称を使用。2001年に入社後も日本名で生活していたが、社長は12年11月~13年5月、他の社員の前で「朝鮮名で名乗ったらどうだ」などと繰り返し発言した。 
(以上引用)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150424-00000086-jij-soci
おかしいなぁ。明らかに間違っている。偽の名前を使うことをよしとする判決なんてどこの国にもないでしょう。
山田太郎さんが明日から川畑次男と名乗ってもOKで、さらに来年からは海波三夫となのってもいいといえるでしょうか?
偽証などは犯罪の隠れ蓑の一つでしょう。こんなものを許してはいけません。なんらかの個人的な特殊な理由があるというのならいいですが、在日韓国人は偽名を使ってもいいなどという意味不明な許しはあってはなりません。

流通業界トラック運転手が足りなくなる?

日本の産業の大動脈を流れる血液の役割を果たしているのが物流業界。
今この業界でドライバーが足りないという問題が起こっているらしい。

通販業態などにおける翌日配達や時間指定配達。
配達の迅速さと適時性が要求されており、ドライバーにとってはきめ細かいサービスが要求されている。
きめ細かいサービスとは名ばかりのもので、実はその美名のもとに奴隷的労働性が隠されているように思う。

日本社会が爛熟し、国民の欲望はサービスへの過剰な期待と応答の相乗効果によってますます肥大化している。産業社会全体が自己免疫疾患(アレルギー疾患)に罹患し、その病状が表出化してきているのではないか。

過当競争を背景に顧客獲得・維持を目標として過剰な要求に過剰に応答しつづけてきたが、ここのところその許容も限界に達しつつあり、産業社会全体が回らなくなってきている。

まずは足に来たというところか。

物流業界に限らず、日本社会という組織体のそこかしこがアレルギー疾患により悲鳴を上げ始めているように思う。

祈祷における統一

In het gebed ligt niet alleen onze eenheid met God, maar ook de eenheid van ons persoonlijk leven.

祈祷において神との我々の統一性があるだけでなく、我々個人の生の統一性もある。

Abrahm Kuyper, Het calvinismeより

キリスト教的美意識からいって美しい一文です。

キリスト教精神に基づいた事業運営とは

国内にはミッション(キリスト教宣教団体)に源を持っていたり、キリスト教精神に基づいて医療分野や福祉分野、教育分野で各種団体が運営されています。病院、特別養護老人ホーム、障害者施設、学校などさまざまです。

これらの団体で管理者がその精神的源とするキリスト教精神を強調すればするほど、ある観念が強調されてきます。
それは奉仕の精神で働くことです。奉仕(サービス)、いわゆるボランティアと関係の深い言葉です。奉仕の精神で患者様に医療を提供しましょうとか、施設利用者にキリストのごとく奉仕しましょうといった具合です。しかも奉仕にボランティア精神が伴います。

ボランティアとは自発性を意味する言葉です。そこには能動性や無償性がついて回ります。各種施設における労働は単なる業務ではなく、ボランティアの精神で無償の愛から奉仕することと読み替えられます。

しかし、ここで気を付けておきたいことは奉仕やボランティアが愛の名のもとに、あるいはキリストの名のもとに、神の名のもとに強制あるいは半強制されていないか、ということです。福利厚生が悪くとも、給与が低くても我慢し、労働の価値をそうした金銭的対価に求めるのではなく、もっと次元の高い愛という観念のもとに奉仕の機会として喜んで務めましょう、アピールするのは正しいのでしょうか。

キリスト者が模範とするキリストはそういうふうに愛の名のもとに、自身の名のもとに、父なる神の名のもとに愛を、奉仕を、ボランティアを強制したのでしょうか。

キリストはそんなことはありません。キリストは福音をまだ聞いたことのない人々や罪びと、被差別者にこれまでの立法教師やファリサイ派の人々とはちがった愛ある態度で接し、教えていました。

同様に弟子たちにもときに考え違いを改めさせるために叱責することもありましたが、多くは愛を持って語り、教えました。弟子たちはそのキリストの豊かな愛から多くのことを学びました。神は福音宣教の相手にも恵み深く、また福音宣教者という働き人たちにも恵み深くありました。決して、奉仕・ボランティア・無償の行為を強制あるいは要求することはありませんでした。ましてや一般職の人々にそれを要求することはないでしょう。

福音宣教者はキリストに、神によって与えられたその恵みの豊かさに驚き、喜び、そうしてそのよき訪れ(音信)をぜひともいまだ知らぬ人々に伝えたいと願い、祈り、行動するのです。それは強制差rたことによるのでもなく、半強制によるのでもありません。

キリスト教精神にその組織の成因的母体があるのならば、そうしたところではその管理者は神の名のもとにスタッフに愛の奉仕を強制するべきではありません。むしろ、スタッフに対して恵み深く―金銭面のみにかかわらず―、スタッフが管理者から受けた恵みを利用者や患者に返したいと思うような、そんな組織運営が求められているはずです。聖書からはそういうことだと思います。

神学を熱心に学ぶ理由

なぜ神学を学ぶのか。
なぜ神学を学ぶことが好きなのか。
なぜなら、神学は、神はこんなにも人間を愛してくださっているという思いからはじまる学問分野だから。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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