神学という学問の審美性

世にはさまざまな学問があります。
その学問の中に神学があります。
簡単に言えば、神についての学です。
ここでいう神学はキリスト教神学のことです。
というのもユダヤ教神学、イスラム神学などがあります。
果ては天理教も神学という表現を使っています。
天理教の場合、優秀な人材をアメリカのキリスト教系の大学に留学させ、
自宗教の教説をキリスト教の神学表現を使って体系化・多様化・専門化つまり学問化させました。

キリスト教神学も大きくは聖書神学、弁証学、歴史神学、組織神学、実践神学に分かれています。
私が専門とするというか、そうしていたのは組織神学です。
いわゆる、神とは何か、三位一体論は何か、キリストとは?といった問題を体系化したキリスト教神学の一部門です。
この組織神学(別名を教義学)という学問について、私は奇異な表現に聞こえるかもしれませんが、とても美しい学問だと心得ています。

その美しさを次の様に表現するとわかっていただけるでしょうか。
キリスト教音楽における美しいメロディをご存じでしょうか。例えば、讃美歌、ゴスペルソング、聖書に主題をとったクラシック音楽の数々、グレゴリオ聖歌など。また、キリスト教美術における美しい絵画の数々をご存じでしょうか。例えば、ピエタ(母マリアが磔刑されたイエスを抱きかかえ嘆いている図像)ほか、聖書に題材をとった多くの絵画や像。さらにキリスト教建築における荘厳な建築物の数々。例えば、ヨーロッパにおけるゴシック建築の教会堂等。―尤もキリスト教に限らず宗教には人間精神の最高度のものが発揮されていますが。

このように人間の精神が神に向けられた時、その真摯な創作力は神に捧げるべく奉仕し、最高の美を追求しつつ躍動します。

その態度こそが本来原初(人間創造の当時いわゆるアダムとエヴァの時代)において人間が神に対して持っていた崇敬と賛美を基調とした奉仕の精神です。この奉仕の精神をボランティアといいます。今日、社会道徳の分野でよく耳にするよろこびに言葉です。

音楽・美術・建築において発揮されてきた美の追求は、学問においては組織神学あるいは教義学という分野で神を表現する論理の美しさとして組織神学の教本には表わされているように私は思っています。この髪を表現する論理の美しさとは、単に論理構成が完全無欠であることを意味しているわけではありません。

そうした形式上のことではなく、むしろ組織神学あるいは教義学が表現しようと務めている神と被造世界(その中心的存在が人間です)の関係が美しいというわけです。換言すれば、神と人間の関係のありようは実に恵みに富み、麗しく、豊かであること、喜びに満ち溢れていること、これらを一言すれば「美しい」と言えるわけです。それはちょうど神が世界を創造した時に、その終わりに「神はこれを見て、良しとされた」(創世記1:10,18他)における「良し」がまさにそれなのです。
スポンサーサイト

国技に秘められた品位を損なう横綱の相撲感

大相撲ファンの一人として言いたいです。
昨日の白鵬-稀勢の里の一戦。横綱ともあろう者が立ち合い変化をしました。
こんな奇襲策は下っ端の者がやるものです。
ちなみに白鵬は以前から張り差しをするようなメンタリティの持ち主です。

スポーツ新聞ではこう報じられています。
<大相撲春場所>◇14日目◇21日◇大阪・ボディメーカーコロシアム

 横綱白鵬(30=宮城野)が、注文相撲で大関稀勢の里(28=田子ノ浦)を下し、1敗を守った。

 立ち合い直後に右に変化10+ 件し、突き落とした。館内は不満のため息や、罵声が飛び交ったが、34度目優勝へ前進。千秋楽の横綱日馬富士(30=伊勢ケ浜)戦に勝てば、2度目の6連覇も決まる。支度部屋では報道陣に背を向けて座り、この日も無言で場所を後にした
http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1450159.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
腹立たしい限りです。横綱の立ち合い変化。まったくみっともない。横綱が敵から逃げた。白鵬はまったくもって大相撲というもの、横綱の立場というものを理解していない。少しまえには審判批判をしでかしたならず者。関取がしてはいけないことを、およそすべての関取の模範となるべき横綱がしでかしてしまっているのですからどうしようもありません。角界も稼ぎ頭に下手に注意できない。白鵬も何を誤解してか、横綱の審判批判は許されると考えている節がある。

過去には土俵外での言行が問題視され、品位を問われた横綱がいました。直近では朝青竜、古くは北の富士屋、北尾、さらに昔には土俵外でけんかっ早かった玉錦などなど。困るのは朝青竜以降のモンゴル出身の力士による土俵上での品位の問題。土俵外なら、いざ知らず、かなりの部分は許容できますが、土俵上での不品行は大相撲への冒涜つまりは日本の神事に対する、つまりは日本人の原精神性への冒涜です。白鵬は大相撲が神事であることを全くわかっていません。

横綱とは難敵を前にして逃げることはおろか、卑劣な勝ち方をしてはいけません。堂々と真正面から立ち向かい、相手に相撲を取らせ、それでも最後には横綱が勝つという勝負の美学があるのです。負ければ、それはそれでその相手の力量を観客はほめあげることはしても、正々堂々と相手の土俵で戦った横綱にも拍手が向けられるものです。その部分を白鵬は理解せず、大相撲をなにかただのスポーツあるいは喧嘩と理解し、とにかく勝ちたい、勝負優先の考えしか持っていません。こうした思考は横綱や大関がもつべきものではありません。

下っ端の平幕力士がこざかしい(といっても立派な技ではあるのですが)奇襲策をとって、それはそれで下位の者が上位の首を取ったということでその意外性に観客は沸くものです。横綱が立ち合い変化したり、張り差しをしたり、立ち合いが合わず喧嘩腰になったり、だめ押しをしたりしてはいけません。それをしなくても強いからこそ、横綱を張れているわけですから。そうしたことをしなければ、もう横綱を張る力がないということなので引退を考えなければなりません。

力の弱くなり、新興勢力に対抗しきれなくなった横綱が、なんとか現在の地位にしがみつこうとして逃げの作戦に出たり、奇襲策に出るようでは横綱を張る資格はありません。引き際が大切です。この有終の美という考え方も白鵬らには理解できないことでしょう。実に嘆かわしいことです。白鵬は横綱であるべきではなく、関取でもなく、相撲取りでもなく、大相撲界にて一時期勇名を馳せているsumou wrestlerにすぎません。私はそのようにしか彼を見ません。

韓国人のもてなしかた

牧師になるべく神学教育を受けていた、神学生時代に韓国の神学大学から学生数名が国際交流の一環でやってきました。
そしてうちの神学校からも学生がその韓国の神学大学を訪問するという企画がありました。

その準備段階で変わってるなあと感じたのは、韓国の方では客人を迎える際には客人の旅費や当地での宿代、食費一切をすべてホスト側が工面するということでした。

こんな習慣は日本にはありません。そうしたもてなし習慣があることを知ったのは日本人側がホストになったときのことでしたから、相当面喰いました。つまり、彼らの滞在費用一切をどうするんだぁ!という問題です。

こうした習慣が実は中華文化圏では共通するものであることを前回引用した歴史学の泰斗岡田英弘氏の同著書で知りました(著作集3『日本とは何か』)。
17頁にこう書かれています。

「これを皇帝の立場から言えば、人民に対して、自分が皇帝たるにふさわしい人物であることを説得するには、自分の統治下にない人々のグループ、つまり外国人のモラル・サポート[道義的支持]がもっとも有効である。中国の『偉大的領袖』に敬意を表しにゆく人々には、中国政府は飛行機代は払ってくれるし、領土内の旅行は無料、日当はくれるし、ごちそうはするし、ホテルもただ。これが中国の人民に対して、彼らの指導者が『天命を受け』ていることを説得してくれたお礼である。」


言ってみれば、韓国の神学大学を訪問した日本人神学生はたしかに韓国内観光はあちらもち、ごちそうは当然、ホテル代もタダでした。但し、交通費は自腹でした。それはやはり皇帝にとって外国人使節団が人民に自己の天命を知らしめる権威称揚の絶好の機会であったのと同様に、ホスト役の韓国の神学大学にとって日本人神学生の訪問は地の果てまで福音を述べ伝えよ(日本は韓国から見ても東の最果ての地、極東、福音の東限)というイエス・キリストのミッション(福音の伝道命令)を韓国人神学生たちがまさに託されていることの証しだったのでしょう。

まんまと日本人神学生はそうした韓国人側のもてなしに秘められた伝統的政治的意図にうまく利用されたにすぎなかったという側面が無きにしも非ずだったのです。

岡田氏の中華圏の思考習慣に関する記事に触発されて昔を思い出したため、少し書いてみました。

善き日本の悪を世界に訴え続ける韓国人

最近、韓国人をはじめとした戦地売春婦による日本への謝罪・賠償請求訴訟がまたしてもアメリカで近く行われる旨の記事がありました。
大まかな内容は次のとおりです。
 旧日本軍の従軍慰安婦だった韓国人女性らが3月中旬にも、日本政府などを相手取り、米カリフォルニア州のサンフランシスコ連邦地裁に損害賠償訴訟を起こすことを検討していることが2月28日、分かった。
・・・中略・・・
弁護士によると、原告は米国や韓国に住む元慰安婦の韓国人で、今後は中国や台湾、東南アジアなどの元慰安婦にも訴訟への参加を呼びかけるとのこと。「国際法上の人道に反する罪」を問い、1人当たり200万ドル(約2億4000万円)の賠償を請求する方針。「当時の統帥権者として責任は免れない」として、皇室を訴訟対象に含めることも検討しているという。

まあ、間抜けな話ですが。

戦地売春婦はディスカウントジャパン運動を繰り広げる団体に唆され、支援され次々とあの手この手で日本を訴えています。
wikipediaの「慰安婦」の項に慰安婦問題に関する各国での訴訟についてのまとめ記事があります。
以下引用します。
1966年、大韓民国大法院は慰安婦として35歳までに得られるはずであった報酬に見合う損害賠償を求めた慰安婦の告訴を棄却。

1991年、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件。2004年最高裁で敗訴。

1992年、釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟(2003年最高裁で敗訴) - この関釜裁判における一審判決(1998年4月27山口地裁下関支部)では、原告らが売春を強制されたことを事実認定し、国の立法義務、立法の不作為を認め、一人あたり30万円の支払いを命じた。しかし、控訴審(2001年3月29日、広島高裁)は一審判決を破棄し、立法行為への規制が司法判断になじまない事、該当事項に関する立法責任が明文化されていない事などを理由に原告側の請求を「全面棄却」。最高裁への上告(2003年3月25日)も棄却、原告敗訴が確定。

1993年4月5日、元慰安婦の在日韓国人宋神道が767億5893万7500円の支払い補償と謝罪を日本国に対して提訴した(在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件)。2000年11月30日、東京地裁は請求棄却。この際、判決効力に関連のない傍論において、裁判長は旧日本軍の慰安婦に対する行為が国際法違反であるとの意見を述べた。この傍論をもってVAWW-NETジャパンは「国際法違反であると事実認定された」と解釈している。2003年3月28日、最高裁判所が上告棄却により原告敗訴確定。

2000年9月、第二次世界大戦中に日本軍慰安婦にさせられたとする在米中国人および韓国人ら女性計15人が、日本政府を相手取って損害賠償請求の集団訴訟をワシントン連邦地方裁判所で起こした。アメリカ合衆国最高裁判所は、2006年2月21日却下の最終判断を下した(#米国での慰安婦訴訟を参照) 。

2009年8月14日、ソウル行政裁判所は日韓請求権並びに経済協力協定によって戦後補償は解決済みと判決。

2010年4月28日、フィリピン最高裁は自国民の日本政府に対する要求について裁判所が行政機関に意見することは出来ないとして請求棄却。また、日本との外交関係を混乱させ地域の安定を損なうとの外務省の判断があったと指摘した。原告の慰安婦たちは、当局に国際司法の場に持ち込むよう要求、また1951年の日本国との平和条約は無効とし、アジア女性基金から償い金を受け取り謝罪を受け入れたフィリピン政府を国際法違反と主張した。

2011年8月10日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が元慰安婦の賠償請求に関する日韓間の協定解釈の相違をめぐる争いを解決しないことは憲法違反」と判決。
引用終了

上記のように次々と国際社会に日本の暴虐さを訴え続けています。こうした彼らのやり口を現代的法システムをとりあえずは駆使して日本に難癖をつけているなあ、ぐらいにしか受け止めていないとちょっともったいない気がします。

こうしたある意味で喧嘩の仕方は中華圏においては伝統的な手法なのです。
韓国の親玉は支那です。朝鮮半島は古来日本に比して支那文化の影響が強く、例えば共産党が支配した支那以上に韓国では支那伝来の儒教思想が浸透しています。韓国の精神文化は小中華思想といわれ、支那の中華思想のスモール版ということになっています。そんな韓国人の喧嘩の仕方、喧嘩の文化も支那人由来です。支那人は夫婦げんかをした時、その妻は夫のひどさを隣近所に大声で訴え、そうして同情を多くかったほうが正しい側、喧嘩に勝ったということになるそうです。

こうした喧嘩の手法について歴史学の泰斗岡田英弘氏はその著作集の第3巻『日本とは何か』のなかでこう言っています。
「政争で勝敗を決定するのは、問題に直接関わりのないグループのモラル・サポート(精神的支援[道義的支持])をとりつける腕前にかかっている。漢人の喧嘩がそうだ。けっして手を出して殴り合いはしないで、見物人に向かって、いかに相手の言い分が不当であるかを、ユーモアを交えて訴える。そして見物人の支持をより多く獲得したほうが勝つのである。」(178頁)

この漢人の喧嘩の手法は先の私の知っている支那人の夫婦喧嘩の手法と同じです。そしてこれは韓国人が戦地売春婦問題で日本を開くの親玉として世界に知らしめようとしているやり口と構造が同じです。さながらアメリカ人は岡田氏の言う「見物人」にあたるわけです。

こんな中華圏の喧嘩文化に付き合うことはばかばかしいことです。しかし、「嘘も百万回言えば本当になる」ということわざがある中華圏のことですから、いわゆる日本人的大人の対応で放置しておいたら<<竹島化>>するわけです。すでに戦地売春婦問題は国際的には韓国側に有利に流れています。こうした流れを打ち破るためにも日本政府と日本人は徹底的にこうした不埒な言動に対して抵抗していかねばなりません。

ということで、3月に予定されている在米韓国人による新しい訴訟は、現代の法システムを中華文化圏人独特の伝統的メンタリティによって悪用している事態にすぎません。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR