ニューヨーク・タイムズの反日記事から

支那資本のニューヨーク・タイムズ紙がこんな記事を載せました。
Record Chinaの配信記事からの引用です。
<以下引用>
米紙ニューヨーク・タイムズは、29日付のアジア版1面で北海道猿払村の「朝鮮人徴用追悼碑」の設置について取り上げ、批判している。報道は、「猿払村は10年前から地域住民と市民団体の発掘調査を通じて朝鮮人徴用者39人の遺骨を発見、村の共同墓地に追悼碑の設置を推進してきた。しかし、除幕式を控えた昨年11月、インターネットを通じて結集した右翼団体から『韓国に操られた村』『売国村の水産物不買運動をする』といった抗議・脅迫電話が寄せられ、追悼碑の設置は中断せざるを得なくなった」などと伝えている。

これを受け、韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。

「日本は見た目『先進国』、中身『途上国』」
「日本の右翼の問題じゃなくて、日本という国の本性だろ」

「民衆や市民蜂起の歴史のない日本は真の民主主義とは言えない。金で外国メディアを買収したりして維持してきたイメージ」
「日本人は(過去の歴史を謝罪したドイツのように)負けて勝つという秘訣を知らないのか?」(後略)
<引用終了>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141031-00000004-rcdc-cn&pos=5
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、思うところを記します。
 
 第2次世界大戦において米国は日本を負かした戦勝国であるために米国は戦勝国の捏造歴史観を極東軍事裁判を通して日本国民と国際社会に印象付けた。

その歴史観とは日本はアジアの侵略国であり、米国はその魔の手から米国とアジアを救ったというもの。こんな考え方であるから日本が先の戦争の意味を再評価し始めると困るわけだ。実際悪魔だったのは戦争屋の米国なのだが。

 当時、徴用は日本人にも課せられていた。韓国併合で韓国人も当時一等国の日本人とみなされ、金もうけができると韓国人は勇んで日本にわたってきた。日本人労働者も条件の悪い中で苦しんだ。誰もがそうだった。

そんな中で韓国人だけが楽な仕事をあてがわれるわけがない。徴用で懸命に働いてくれたことを偲んで日本人は碑をたてたわけだ。それなのにその説明文には韓国人は拉致されて強制労働をさせられていたというようなとんでもないことを書いている。こんなでたらめを許せるわけがなかろう。
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フィリピン人と日本人の労働観の違い―労働の在り方と社会の在り方―

序論
 ある動画で経済倶楽部の横森一輝さんが、海外との比較でわかる最高品質のメイド・イン・ジャパン­について語っていた。要約すると次の通りだった。フィリピン人のホスピタリティは素晴らしいといわれるが、そんなことはまったくなく日本人のホスピタリティこそが素晴らしい。

 そもそもフィリピンには勤勉という概念が一般化していない。その理由はフィリピンは長く、欧米諸国に奴隷とされていたがために勤勉という考え方が育たなかったのではないかとも言っていた。さらに、海外への輸出品の中で最高のメイド・イン・ジャパンは日本人そのものであろうとも言っていた。

 これについて以下のようなことを考えたので記しておきたい。。。

本論
1.日本人の勤勉性史考

  フィリピン人は過去(スペインやアメリカによる)に奴隷状態にあったがために責任感がないというが、おそらくその奴隷状態であった以前においても彼らは責任感がなかったと思う。ところが、日本人は昔から勤勉であった。

この200あるいは300年の間に日本人が責任感に強い国民性を持つようになったとは考えられない。精神史におけるそうしたエポックメイキングもない。あるのは昔から勤勉を美徳と教育し続けられてきたことだろう。

逆にフィリピンにおいてはもう原始古代社会から現代まで勤勉を美徳ととらえる精神文化はただの一瞬もなかったはずである。そしてこの勤勉を美徳と考える精神文化を持つのは日本人だけである。

 日本人同様に勤勉と考えられているドイツ人はその社会が契約社会のため契約内においては実に勤勉である。たとえば契約した時間内や契約した職務内容の履行に関しては契約に忠実であり、それゆえに勤勉ととられる。

しかし日本人の場合には契約以上の勤勉さを発揮し(勤務時間に縛られない)、それはなにより個人が意識するところの責任感がもたらすものである。日本人は世界の中で唯一最高の生真面目さと勤勉さと責任感を持つ類稀なる民族である。

2.勤勉な日本社会を取り巻くリスク
 勤勉な国民が形成してきた成熟した社会の富にあずかろうと東アジアや東南アジアその他から人々が押し寄せてきている。日本なら安全に楽をして暮らせると期待して。日本国は国民を勤勉にし、国民もそれが当然のことと考えて生きてきた。そして国家はそんな国民に窮地の際の保護策として手厚いセイフティーネットを設けた。これをあてにして外国人が押し寄せてきている。

 日本人の蓄積した財を散在させるためにあこぎな商売が展開している。日本人の勤勉性はマモン崇拝に由来するものではなく、労働そのものを尊いととらえる性質のものであり、労働の在り方をも規定するものであった。そこでは支那や韓国では賤しいとされていた職人技は努力の賜物ととらえられ尊敬の対象であった。

 あこぎな商売、たとえば不特定多数の一般人が社会問題化している依存症を引き起こすほどギャンブル性の高いパチンコ業(昔の日本においてギャンブルはその道の玄人や旦那衆の遊びであった)や業種や必要のない借金までをもさせるサラ金業(元来、貸金業は街中にあり、自営業者が主に利用。一般人は質屋を利用した。ところが某有名サラ金業者は団地の主婦層をターゲットにし、気楽に借りられるシステムを作り、のちに借金地獄と呼ばれる社会問題を引き起こした)は日本人の伝統的労働観にはそぐわないものであったはずである。しかし、この分野に進出した韓国・朝鮮人は大きな利益を得ていった。

3.勤勉に報いるシステム―その破壊と再生
 日本の労働文化には年功序列という報酬システムがある。これは労働に勤しむことは尊いことであり、労働とは勤勉以外の何物をも意味しないというのが日本人の労働観であった。そこには怠業という態度は日本来的なものであり、叱責の対象であった。そして長く勤めれば務めるほどそれは勤勉を継続したことを意味しており、当然評価の対象であった。そこに年功序列の根拠があった。

 ところが、欧米流の成果主義が導入され、日本人の労働意欲がそがれるようになった。年功序列制度は組織全体が個を埋没させて全体の利益に生きることを前提とし、それは同時にそこで得られた成果は全体のものであった。ところが、成果主義は実力主義(?)=、ひとりのスーパーマン的活躍を行った者=個人主義への偏向的評価であった。

 というのも、その成果はよく考えれば決して単独で為し得たものではなく、それまでの道のりにおいて他者のなにがしかの積み重ねがあっての産物であり、また実際にそれを支えた脇役の人々の貢献があっての代物であった。

成果主義はそこには目を向けず、目立ったパフォーマンスをした人物の身にスポットライトが向けられる。ここにそれまで組織として動いてきた企業の団結力にほころびが生じることになっていく。

 さらに、一度はスーパーマン的パフォーマンスを見せ、成果主義によって実を得た人物もその一度の成功は先輩の積み重ねがあっての所産だったのにその後は一から自身が道筋を作らねばならなくなり、そのノウハウが持ち合わせていなかったがために何も成果を上げることができなくなってしまう。そうして期待外れといわれ、つぶれていく。こうして個人も組織も疲弊していく。こうしたことがあって今日では成果主義について否定的な見方をとる経営者も出てきている。

結論
 こうしてみるとき、日本人のすばらしさが労働の在り方一つを巡ってもうかがわれる。日本人は自信を持っていいし、やはり日本には日本人が長く伝統的に培ってきたな依頼省による社会システムがふさわしいのである。また部外者がこの富を掠め取ろうとしているがそれに対しては不条理な温情を示すことなく、厳しく監視し、防がねばならない。

件の動画
https://www.youtube.com/watch?v=FbdBRTrVLRU

琉球人とアイヌ人は日本の先住民ではない


長浜浩明氏の『韓国人は何処から来たか』(26~28ページ)において琉球人とアイヌ人についてその起源が記されています。

まず琉球人についてですが、地理的な関係から中国南部の広州人や台湾人と祖先を同じくしているような感じを私はこれまでもっていましたが、分子人類学のDNA研究によると南九州の縄文人が琉球人の祖先だそうです。つまり、琉球人の祖先は日本人だったということです。

次にアイヌについては次のようなことが言われています。
アイヌ人の祖先はは日本人の祖先と同じ縄文人であることや、日本の先住民であるという説には疑問があるそうです。その理由は、もし日本人の先祖である縄文人がアイヌの先祖でもあるというのなら、言語学的にアイヌ語と日本語とには類似性がなければなりません。

しかし、両者にはその関係性はありません。しかも、日本語はツングース諸語とオーストロネシア諸語との混合語なのですが、アイヌ語はツングース語とはまったく系統が異なる言語であることが判明しています。

アイヌ人は元来アムール川河口や樺太に住んでいたのであり、13世紀にモンゴル人の被征服民を頻繁に攻撃・略奪していたところ、逆にモンゴル人の怒りを買い、その地を追い出され、日本へとのがれてきたというのが真実のところのようです。

彼らは当時トリカブトをしこんだ毒矢を使用し、日本人の孫線の縄文人に恐れられたそうです。ちなみに、東北の三内丸山遺跡はアイヌ人のものではなく、縄文人のものです。今日、アイヌ人は平和主義者で近世以降に日本人に征服されたかわいそうな民族であるとの知識が流布していますが、実際のところは非常に好戦的であり、いわばいじめっ子だったのかもしれません。

ちなみに、アイヌでは熊が神格化されて信仰されていますが、このことは韓国人もその民族起源に熊との獣姦エピソードがあることと共通しており、地誌的になんとなく納得がいくような気がします。

戦地売春婦謝罪・賠償要求の支持者に対する神学的反論

元戦地売春婦の金学順の偽証言を支持した竹村泰子や松井やよりへの反論…政教分離の立場から
下記の動画から、上記の表題の着想を得た。

日本基督教団やカトリック教会協議会、在日大韓教会が結託して日本を貶め続けている。

キリスト教における無国籍・旅人理論(信者の国籍は天国にあるという考え方)が自らの国家に恥辱を与え続けても何にも感じなくさせている。つまり、霊的には=信仰的には自分は日本国籍ではないのだから。

教会生活の慣行であるカトリック的懺悔=プロテスタント的悔い改めの発想が日本政府と国民に対して韓国への謝罪を執拗に求めている。懺悔や悔い改めは必要があれば何度でも行ってよいものであるが、そもそも竹村泰子氏(参議院議員、北海道のキリスト教団体のYWCA関係者)や松井やより氏(女性国際戦犯法廷、牧師の娘)には国家が謝罪するというその重みが全く分かっていない。

宗教思想を政治・外交に持ち込むことは危険な行動である。
もし日本が謝罪した場合、どの国もその行為を宗教的行為としてではなく、一国家の政治的行為としてしか認めない。

その行為がもたらす国家的損失は大きい。元戦地売春婦への謝罪・賠償請求運動はあくまで政治運動であり、これをキリスト教的発想から行うとき、国家的損失の莫大さを考えるならば、それは政教分離に反する。日本国の国政をキリスト教的発想によって動かしてはならない。
金学順の証言について

哲学バトンとやらをやってみました

ちょとと思って哲学バトンとやらをやってみました。

哲学バトン

Q1 哲学を始めたのはいつ頃ですか?
A1 人間関係の在り方について考え始めた小学校5年生頃
Q2 自分の中で仮にでも結論がでた問題はありますか?あればその結論を教えてください。
A2 哲学好きを標榜するのは哲学を単に好きだからなのではなく、考えないと気が済まないという性格上の理由からです。
Q3 哲学者として好きな人・尊敬する人、気に入ってる本を教えてください。
A3 プロティノス、ルター、カルヴァン、荻生 徂徠、M.ヴェーバー、ホワイトヘッド、A.カイパーら。Het Calvinisme、Luthers theologia crucisなど。
Q4 自分の思考の基盤となる考えはありますか?
A4 キリスト教神学。2000年間にわたって議論が続けられているキリスト教神学には考える作業の粋が詰まっています。
Q5 基本的に、精神論者ですか、唯物論者ですか?
A5 精神論者
Q6 世界の始まりや終わりについてどのように考えていますか?
A6 全知全能の神が世界を創造し、そのなかで人間は神と関わりつつ人生という悲喜劇を演じ、再び神は終わりに大きく介入するでしょう。
Q7 あなたのまわりの世界は美しいですか?
A7 世界を自然ととらえるとき、それは美しく、社会ととらえるとき玉石混淆といえます。
Q8 あなたはこの世界に満足しているといえますか?
A8 多くの点ついて満足し、感謝しています。
Q9 世の中のあらゆるものを導いている原理があるといわれて、信じられますか?
A9 信じられます。しかも原理という語感が持つ無機質で冷たいものによるのではなく、もっと人格的な何かが導いています。
Q10 最後に、あなたは知を愛していますか?
A10 知を愛します。知とは神からの賜物であって人生を豊かにしてくれるものです。

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ルター神学における十字架の逆説という福音

LoewenichレーヴェニッヒのLuthers theologia crucis 『ルターの十字架の神学』の83頁より。

Crux probat omnia.
十字架はすべての人間を吟味する。

Das Kreuz ist das Gericht ueber alle selbsterwaehlten Gedanken und Werke des Menschen.
十字架は人間のすべての自己選択的な思いと所為に関する法廷である。

Angesichts der tatsaechlichen Lage des Menschen bedeutet es die radikale Umkehrung aller menschlichen Setzungen.
人間の実際の状況に面して、それ[十字架]はあらゆる人間的な決め事の根本的逆転である。

Was toericht ist, das ist weise, was schwach, das ist stark, was Schande, ist Ruhm, was dem Menschen hassenswert erscheint, ist in hoechstem Mass zu begehren und zu lieben.
愚かなことは賢く、弱いものは強く、恥辱は名声であり、人間にとって憎むべきと思われることは最高度に欲すべきことにして愛すべきことである。
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ひとにはこれまで、そして将来にわたって正当に評価されないことがあるかもしれません。

でも、だれにも認めてもらえていないことでもイエス・キリストの十字架の光のなかで神に正当に評価されるときがきます。

イエス・キリストは十字架で死にました。

その十字架の死は人間的な評価では恥辱に満ちた呪われた者の死にすぎませんでした。

でも、神の目にはこの上もなく尊い聖なる贖罪の儀式でした。

真に人間を裁いたり、物事を評価できるのは神だけです。

人間の目による評価と神の目による評価とは180度異なります。

その相違が十字架に象徴的に表れています。

十字架は報われない者にとっての希望です。

これが十字架の逆説の福音。

日本人のルーツ

  2001年でしたか、NHKが日本人のルーツについて特集番組をシリーズでやっていました。NHKスペシャル『日本人はるかな旅』という番組だったと思います。

その番組に当時友人だった某芸能事務所所属のモデルの女性が出演していました。手タレ・脚タレというパーツ部に所属していたモデルでした。彼女が出演していた回は、なにやら顔の骨の形でその人の先祖のルーツを探るというような内容でした。

  きれいな顔立ちの彼女がどんなルーツだったのかは忘れましたが、他のモデルたちは西アジアの系統とか、韓国人とか、中国南部沿岸といった由来が次々と告げられていました。その番組は以前にはyoutubeでも視聴が可能でしたが、いまはもう削除されています。

こうした骨の形から先祖のルーツを調べる学問分野を形態人類学というんだそうです。今日、この学問分野は古いといわれています。それに代わる分子人類学が台頭してきたからです。形態人類学の欠点は生活環境たとえば食物の変化で骨相が変化する事態を考慮に入れていないことからまったく非学問的であるようです。

この点について言えば、同じアジア人である韓国人の顔の特徴が頬骨が高く、顔の横幅が広い、エラが張っている、目が細く一重であることから、同様の顔の純粋な日本人までを在日認定したりすることがネット上ではしばしば見受けられますが、これは慎まなければなりませんね。

尤もなおこうした韓国人の顔の特徴はたしかにあります。これは韓国人自身が自覚しているものです。一概には否定できませんが、しかしこの言辞を絶対的かつ普遍的な性質にとらえると謝ってしまいます。厳密に言うと不正確な表現です。実際、私が以前に知り合っていた韓国人にはさきのような特徴を持たない人々もいました。

  なぜこうしたことを話題にしているかというと、最近おもしろい本を読んでいます。長浜浩明氏の書いた『日本人ルーツの謎を解く』(展転社出版)です。この書は既成の巨大な誤謬に対して研究者による新しい知見を集約して反駁を試みています。

NHKスペシャルの番組『日本人はるかな旅』が基調としていたのは現代日本人のルーツは渡来人(韓国人)にあるというものでした。大まかに言うと次のようなものでした。日本人のルーツは縄文人と弥生人ですが、後者は渡来人です。渡来人である弥生人が日本に水稲をもたらし、大いに社会を発展させ、豊かにした。大量に日本列島(北部九州)に移民したため縄文人は駆逐された、あるいは縄文人の遺伝子は病気や混血により絶えた。

ですから、現代日本人のルーツは弥生人=渡来人=韓国人である、というのです。こうした考え方を有名人でいえば、司馬遼太郎や山本七平がもっていました。特に司馬遼太郎は日本人=韓国人説の信奉者でした。

こうしたいわばNHKをはじめとした巨大メディアや有名知識人が信じて疑わなかった常識が分子人類学のおかげで覆されてきたのです。尤も分子人類学者の中の著作にさえ、先の形態人類学者の主張である「日本人のルーツは渡来人である」に毒されている向きもいまだにあります。こうした風潮を科学的に究明し、論駁したのが上記の長浜氏による著書です。

そこでは日本人のルーツは大量の渡来人ではなく、縄文人である。むしろ、この日本人の先祖である縄文人が朝鮮半島にわたって沿岸部において一つの文化を形成した跡がある、と主張しています。ほかにも形態人類学への詳細な反駁、言語学的アプローチ、分子人類学の要点、縄文稲作論、成人T細胞白血病ウィルスからの検証など多角的に論じています。

興味のある方は是非読んでください。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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