精神活動におけるラティオの機能でちょっと気づいたこと

神学著作の中で私はルター派神学の著作に慰めをよく受けるのですが、そのなかで興味深い文章がありました。

LoewenichレーヴェニッヒのLuthers Theologia Cricis(『ルターの十字架の神学』)においてルター神学におけるRatioラティオの機能についてPreussプロイスの研究を引用していました。

Ratioはラテン語です。日本語では一般に理性と訳されます。ルターは著作をラテン語であらわしました。
このラティオがどういう機能をもつのか、そのことが問題になっています。

なお、以下ではRatioをカタカナでラティオと記します。これは日本語の理性を訳語にあてがうと、日本語の理性がもつ常用的意味慣習に読者の意識が引っ張られるリスクを避けるためです。(邦訳版『ルターの十字架の神学』p.86では岸千年先生は「理性」と訳していますが。。。)

彼は、Preussプロイスがルターの場合におけるRatioラティオの概念の三重の使用について明確にした、といいます(原著p.80)。

1.Ratio als logisches Schlussverfahren.
  論理的推論方法としてのラティオ

2.Ratio als Kulturfactor, als Vernunft, die sich in weltlichen Dingen betaetigt, als Voraussetzung aller menshlichen Kulturarbeit.
  文化要素としてのラティオ、世界的出来事において活動する理性としてのラティオ 、あらゆる人間的文化労働の前提としてのラティオ

3.Ratio in metaphysisch religioesem Sinn als Prinzip der Weltanschauung.
  世界観の原理としての形而上学的・宗教的意義におけるラティオ
 
レーヴェニッヒがいうには、ルターは二番目のラティオの機能を文化要素として妥当だと認めており、この第三番目の意義におけるラティオは強く拒否している、ということだそうです。実際、そのとおりなのでしょうが。

興味深いことに、二番目のRaio als Vernunft, die sich in weltlichen Dingen betaetigt, 世界的出来事において活動する理性としてのラティオ はのちのヘーゲルの世界理性の考え方と似ています。また、三番目のラティオのとらえ方はカントの理性論に似ています。カントは理論理性の宗教・形而上学領域への活用の無効性を説き、道徳領域における理性の活用の可能性を説きました(実践理性理論)。

プロイスの研究にはルターにおけるRaioが3つの概念に範疇化されていました。
が、彼の思考にはヘーゲルやカントの哲学の影響があるのではないでしょうか。
これがちょっと気づいたことです。

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難解な文章

マリオンのDieu sans L'etre(『存在なき神』)のp.34に非常に難解な文章がありました。
L'essentiel en elle - l'intention qui envisage - lui provient d'ailleurs, ou plutot lui provient comme cet ailleurs dont
l'invisible etrangete sature de sens la visibilite du visage.
En retour, voir, ou plutot contempler l'icone ne consiste
qu'a parcourir la profondeur qui affleure dans la visibilite du visage, pour repondre a l'apocalypse ou l'invisible se fait
visible, par une hermeneutique qui saura lire dans le visible l'intention de l'invisible.


イコンにおける本質―注目するところの目的―は他のところからイコンに来ている 。より正確に言えば、見ることのできない奇妙さが顔の可見性を意味で飽和させるところのこのほかの場所のようにイコンに来ている 。逆に、イコンを見ること は正確に言うと注視することは、見えないものの目的を見えるものの中に読み取ることができるであろう解釈学によって見えないものが見えるものになるところの黙示録に見合うために顔の可見性の中に姿を現す深みを一瞥することにしかない。」

この著書はカトリック神学の素養がないと理解しにくい内容となっている。あるいはプロテスタント神学なかでもカール・バルトの神学に触れていないと彼の論理を追えないし、その結果なにをいわんとしているのかを推論することもできない。

マリオンはこの著書において神について存在論的概念において語るのではなく、恩恵的概念において語るべきだと主張している。これはプロテスタント神学においては周知のことだが、カトリック神学においてはギリシア哲学に淵源を持つ中世スコラ神学の影響を背景としてプロテスタント神学以上に異教的・非聖書的概念において神について述べる傾向が強い。それでは神について正しく知ることになっていないという批判がマリオンにはある。ということで、プロテスタント神学を嗜好する者にとってはさほど目新しいものはない。

マリオンはここまでイコンと偶像を対比する形で認識論的相違を諄々と述べてきている。これはのちの本格的議論の道備えとなっている。いわば、洗礼者ヨハネのようなもの。つまり、後に来る本格的議論における思考方法に読者の頭を馴らしている段階である。


難解な青字部分を換語的手法によって理解を図ってみました。
「イコンにおける本質(目的)は他のところからイコンに来ている 。より正確に言えば、見えないものが見えるものを意味で飽和させる、そうしたそのほかの場所のようにイコンのところに本質は来ている。」

紫字部分について
現段階では「イコンを見る」ということが「神を考える」つまりカトリック神学的に換言すると「神を観想する」ということに符合している。この時点ではイコンは(本体あるいは実体としての)神の思考代用品であり、偶像は人間が表現化(言説化や彫像化などを含む)した神の思考代用品である。

小保方氏へ弁証の機会を

以前に小保方氏が発表し、一世を風靡し、その後論文不正問題で世間を騒がせたたSTEP細胞論文について、
ずいぶん私自身浅薄な書き方をしてしまったと後悔しています。

彼女は正当な自己弁明の機会を得るべきであり、自己の正しさを世間に示すチャンスが与えられねばなりません。その点、現在理研の組織において検証実験の機会が彼女に与えられたことは喜ばしいことです。

彼女には体調に配慮しながら懸命にSTEP細胞の存在を証明していただきたいものです。

また、世間においては彼女に関して揶揄した表現が出回っていることに自分をも含めて自戒すべきだと考えます。

彼女が反転した世間からの逆風にくじけることなく、自身の納得のいく過程を経て自身にとって納得のいく結果を得てほしいものです。そしていずれ世間に公表してほしいものです。

その点ではいまの彼女を大いに私は応援します。

神学著作における著作者の主体性

MarionのDieu sans L'etre(『存在なき神』)のEnvoi(献辞)に神学著作における著作者の主体性についてうまく言語化されている箇所です。 以下に引用します。

  「それ[神学]は著者を著者自身から変える(このようにひとはほんとうにあらゆるよき神学とともに哲学からの転換について語りうるのである)。それ[神学]は彼自身の外で―彼自身に抗してさえ―書くことを彼に齎すのである。彼は彼であるところのものや、彼が知っていることに基づいてや、彼が欲するところの見方において書いてはならないのであって、むしろ彼が決して支配するところのものではなく彼が受け取るものにおいて、受け取るもののために、受け取るものによって書いているのである。」

  神学者は自らの創造的思考を叙述しているだけだというのならば、それはその時点で神学という性格を逸脱してしまっています。自然神学ならば話は別ですが。なんらかの制約のなかで神学者は神学的思考をめぐらすものです。その制約とは地上的形態をとる物として聖書があります。神学する者にとって聖書は信頼するに足る神の言葉です。

  少なくとも、私が考えている神学著作の著作者の主体性は、聖書を記した著者がモデルです。伝統的な正統派神学では、聖書を叙述するとき、神の聖霊が聖書記者に働きかけ、聖霊は聖書記者の能力や特性を活かしつつ、御心に適った物語を叙述せしめたもうた、と考えます。そして、このことが聖書の無誤無謬性という神の言葉なる聖書の内容がまさに真実の神の言葉たることを担保しているのです。

  尤も、聖書には無誤無謬性が必要とされますが、神学著作にはそれは望みえません。神学著作を著す場合に聖霊は著作者に働きかけ、その心を刺激し、著作者は祈りつつ聖書の制約の範囲内で自己の創造的思考を言説化します。神学者は自然(世界や人間)と聖書にみられる神の御業の痕跡を認める信仰的視力が必要です。その視力を与えるのが聖霊です。

聖霊は人間の信仰的視力に光を与え、神の事態を見る力を回復させ、括目させ、驚かせ、感激させ、喜悦させ、想像力を掻き立て、表現への意欲を駆り立て、人間の言葉で叙述せしめます。聖霊は著作者の祈りに答え、導き、神の痕跡を後追いするその視力と思考を賦活化させ、その人の経験と能力を用いて叙述に相応しい人間の言葉を与えます。こうした著作者個人の人間性全体を掌握し、その人間の弱さを包み込むようにして、神は被造世界に永遠の昔に託し(割り当て)、いまも生きているその約束を今の人間に神学著作者をとおして知らしめます。

神学著作は神の聖霊の働きかけと著作者の人間性の作品であり、いわば神と人間の協働作業です。そのとき、人間の主体性は殺されることなく、むしろ有用に用いられて生かされます。神の主体性は人間の主体性を無視することはありません。人間の主体性は神を凌駕することはありません。神は人間の弱さをも含めたそうした人間性の総体を尊重します。こうして神学著作には著作者個人のその人らしさが表れます。そこに多様性や面白味もあるのです。

いわゆる「従軍慰安婦問題」への反論

  2013年5月24日に「報道するラジオ」というラジオ番組において「史実から問う、従軍慰安婦問題」というテーマで、いわゆる従軍慰安婦問題を支持する立場からのプロパガンダがあった。番組では女性司会者と毎日新聞の平野氏が聞き手となり、中央大学の吉見氏が解説していた。

この番組がyoutubeにupされていた。
聴取後の感想を一言すれば、こっちこそが史実から問いただしたい。
捏造するな、曲解するな、ということである。

以下に逐語的に反論した。
関心のある方は動画を参考にしつつ、お読みください。
「報道するラジオ」←クリック!

吉見氏は以前に某テレビ討論において戦地売春婦の日本軍による強制連行を証明する資料は見つからなかったと白状した。とんでもない人物だ。このラジオでは証拠があったと前言を翻している。あいかわらずこんなところで法螺を吹いている。そうして戦地売春婦(従軍慰安婦なる用語は存在せず、字義的にはこちらの呼び名が正しい)問題に関してさも証拠が豊かにある真実だとの印象操作を行っている。

これまでの経緯では強制連行という理由だけでは賠償を勝ち取ることが難しくなってきたために強制的に連行されたという論点ではなく、最近では強制的に売春婦として働かされたという論点で攻めてきている。論点のすり替えを巧みにしてきているのだ。

しかし、慰安所における売春婦と兵士の関係は売春宿の従業員と客の関係である。客側が料金を払えば、そこの従業員が料金に見合った労働を提供する義務はある。売春の強制性に関わる問題は売春宿主であった朝鮮人女衒や店主に責任があるのだ。

スマラン事件はあくまで軍の中の一部の人間の犯行である。この事件は日本軍全体が強制連行を企図し、実行していたことの証拠にはならない。その証拠に日本の軍事法廷で裁かれたのである。もし、日本軍全体がそうした強制連行を組織的に行っていたというのならスマランの件で軍事法廷が開廷されることはなかっただろう。吉見氏は文書がない、証明がないということは日本政府に謝罪と賠償の席がないことにはならないといっている。しかし、証拠もないのに加害者扱いされては法律も何もあったものではない。それこそ冤罪である。いま、戦地売春婦支持派の韓国政府や支援団体、反日団体によって日本政府、日本軍、日本兵が冤罪の危機にあるのだ。証拠不要というのならば、被害をでっち上げた者勝ちといことになる。それは法治社会ではありえないことである。法廷にて偽証の多い韓国では通用する言い分かもしれぬが。

挺身隊はよく知られた誤用である。女子挺身隊は本土などで工場労働のために駆り出された女子のことをいう。この挺身隊の本義を離れて、韓国人が売春婦の強制連行があった証拠だ、女子挺身隊のスローガンで売春婦が募集されたのだと誤解して挺身隊と売春婦が結び付けられてしまった。きわめて侮辱的な誤用である。

慰安所が強制的なものであるという考え方は戦後のものである。当時は売春は合法であった。それを示すようにアメリカ軍は日本占領後に東京に売春婦を集めた慰安所を日本政府に要求した。また、朝鮮戦争後に韓国ではアメリカ軍のための慰安所がいまのパククネ大統領の父親であるパクチョンヒによって管理されていた。ぜひ、韓国の売春婦は韓国政府とアメリカ政府に謝罪と賠償を請求してほしいものだ。

吉見氏は売春婦の自由云々についていっているが、彼女らが売春労働をしていた場所は戦地である。戦場で彼女らは日本軍によって保護されていた。身体の安全のみならず、健康面も守られていた。戦場であるから軍の管理地外に出ると彼女らは殺される可能性がある。また彼女らの不用意な移動によって日本軍の陣地が知られる可能性がある。彼女らを守るために、また兵士を守るために外出は自由にできなかったし、思い立った時に帰るということもできなかったのである。それはなにも売春婦だけではない。兵士や軍属も同じだったのだ。売春料金を決めるのも軍だったというのは当然だろう。韓国人売春婦や女衒によるぼったくりもあるだろうから。

なぜ売春婦をあつめる朝鮮人女衒が軍によって指定されたのか。この点を吉見氏は批判していた。しかし、それはまさに朝鮮人女衒によって強制連行が頻繁に起こっていたからだ。それを未然に防ぐために許可制、指定制にしたのだ。

吉見氏の言っていることはすべてひとつの事実に対する悪意ある解釈である。
これほどにまで日本軍を侮辱する人間性は悪魔的である。

売春婦の自発性については、日本軍が売春婦を集めていたわけではないので現地の朝鮮人女衒が看護婦を軍が募集しているからなどとうそを言って娘を騙していたりしていたわけだ。人身売買は貧しい韓国人家庭が女衒に娘を売ったということである。娘は親にすぐ帰れるなどとうそを信じ込まされて売春婦となった場合もあろうが、これはのちの朝鮮戦争時にも起こったことであり、人身売買や女衒による誘拐は朝鮮半島では社会風習としてごくありふれたことであった。

誘拐されたり、だまされたりした売春婦の存在について、すべてを信じることも危険である。まず証言をした現存する売春婦がつじつまの合わない内容の事を言っている。彼女らが嘘をついている可能性が極めて高い。おそらく、かなりの高い確率で売春婦であった者らの証言は偽造である。

吉見氏は日本軍・日本政府は悪い、アメリカ軍・アメリカ政府はよいという。アメリカは軍が売春婦を集めていない。業者が集めたのであるというのだ。この点が日本と違うと吉見氏はいう。しかし、日本も売春婦を朝鮮人女衒に委託していたのである。アメリカは業者が集めたという時、それはアメリカ軍が業者に委託したことを意味している。アメリカ軍がやっていたことをアメリカ政府は知らなかったという論理は通じないだろう。吉見氏は日本にむける厳しい追及をアメリカには向けない。ダブルスタンダードである。

従軍慰安婦支持派は韓国政府や支援団体、日本における反日左翼の言いなりになって「主張する前に事実」(番組内の女性司会者の言葉を援用)を調べるべきである。そして日本人の生真面目な性格と朝鮮人の偽証の多い性格とを比較するべきである。日本人は通常考えられるようなことを疑いなく正直に語る。韓国人は通常それはないだろうと疑わざるを得ないようなことを語る。また、支那・韓国には「嘘も百回言えば本当になる」という俚諺がある。さらに、支那・韓国には中華思想というものがあって、彼らからすれば日本は下位に属する国であって、決して支那や韓国よりも上位にあってはならない国なのである。

しかし、国際社会では、たとえばより具体的にはアメリカでは日系移民の社会的評価はすこぶる高い。逆に韓国系移民の社会的評価は「嘘を言う」「でたらめな要求をする」「法律を守らない」「売春婦が多い」「強姦魔が多い」といったイメージが強い。こうした高い評価を受ける日本への嫉妬がこの戦地売春婦問題にも大きく反映している。

そのため、アメリカでは韓国系アメリカ人によるロビー活動によって戦地売春婦は性奴隷であったという捏造が行われ、日本人の評判を貶め始めた。世界における日本人の印象を操作し、日本人ならば韓国人を性奴隷にしかねないという方向へと世論をもっていこうとしているのだ。この世論形成の方法は巧みである。直接的に日本軍が戦地売春婦を性奴隷にしていたというのではなく、売春婦はすべて性奴隷であり、人権侵害であり、犯罪であるという点から、それならば売春婦とされていた彼女らは性奴隷であったのだという論理なのだ。しかし、元来の「日本軍による戦地売春婦の強制連行」という第一の論点からはまったく外れてしまっているのだ。

韓国側は戦法を変えてきた。そしてさらにこれにパククネが大統領になってから新たな戦法が加わってきた。それが告げ口外交である。パククネは外遊するその先々で日本は戦地売春婦の問題で賠償も謝罪もしない、過去の問題を清算していない、悪い国だと各国首脳に告げ口をしているのである。こうした態度は現実の目の前にある解決すべき課題がまったく視野に入っていない愚かな行為として各国首脳からは受け止められている。

パククネ関連でいえば、彼女の父親パクチョンヒは大東亜戦争時に日本軍将校であったわけだが、彼も戦地売春婦を利用しているのだ。また、1977年にアメリカ軍の韓国における管理売春で決済をしている。パクチョンヒ大統領は国家売春を直接的に承認しているのだ。いつの時代のどの国の戦争であろうと、兵士がいるところには売春婦も集まった。日本軍は彼女らを徹底的に保護したのだが、日本以外の国は野ざらしであり、売春婦も多くが犠牲になったし、兵士も売春がらみで犠牲になった。

多くの国の軍では戦地での売春婦が足りず、兵士は現地女性への強姦を頻繁に行った。日本はそれを防ぐためにも慰安所を計画したのである。そんな兵士による強姦事件で有名なものがある。それはライダイハン問題である。韓国軍はベトナム戦争時に30万人の兵を派遣した。韓国兵はベトナム民間人を虐殺すると同時にベトナム人女性を強姦した。そしてその結果生まれたのがライダイハンと呼ばれる混血児である。韓国政府はこの点について一切謝罪も賠償もしていない。こちらの方こそが明確な犯罪であり、現に社会問題化している事柄であるので喫緊の課題であるはずだ。

反日戦地売春婦支持団体は多くの資料を集めている。しかし、その資料には一切日本軍による強制連行を示す証拠資料はない。あるのは朝鮮人女衒による強制連行である。日本の軍隊や警察は厳しく取り締まったが狡猾な朝鮮人女衒に騙されることもあった。それでも当時の現地の朝日新聞には警察が悪質な朝鮮人女衒を検挙し、誘拐された女性たちを帰還させたという記事が無数にある(朝日新聞南鮮版1939年3月28日「一家総がかりで農村の娘を誘拐」の記事など)。

自己主張について

扱いの面倒な人、うるさい人には「言ってもわからないから、放っておけ」ということはよくある対処法ではないでしょうか。
これは日本社会において個人に対しては次善策といえるでしょう。しかし、国際社会において対外的には国益を大きく損なう手法です。

国際問題においては当事者国となった場合、「知らんぷり」は最もやってはいけない対処法です。会議などだけではなく、外国人との口げんかではなにも言わないと相手の言い分をすべて肯定してしまうことになってしまいます。

実例としては、大人の対応と称して「知らんぷり」を決め込んできた日本政府は竹島を韓国に武力支配される羽目になってしまいました。アメリカ人や支那人がいうことですが、とにかく韓国人と付き合う方法(隣国であるゆえ、また韓国の方が喧嘩を吹っかけてくるゆえ)は、彼らに対しては同じ人間と思って接してはならない(向こうはこちらを下位においてみてしまう)、常にこちらが上位者であることを示し、恫喝して接すること、同じ過ちや罪を犯す場合には暴力でもって教えること、ただし仕返しをしてくることがあるため用心しておくことを基本とするそうです。

「知らんぷり」は自己主張の放棄であり、自身の意見を主張してこそ市民として認められ権利を確保できるという社会で外国は作られているため、理由はどうあれ何も言わないことは無能者のレッテルを張られるだけです。むしろ、開かれた社会であればあるほど、弁明の機会・自己主張の機会が許されているのであってそれを利用しないということはそもそも民主主義社会の権利を放棄した未開人ということになります。

ちなみに近年日本でもとりわけ学校現場で自己主張の必要性が取りざたされていますが、わがままを通すことのように誤用されている向きがあります。これも自己主張の精神文化史が浅い証拠です。もともと、自己主張は法廷における弁明を基本にした考え方です。自らの正当性を個人は主張する権利を法を根拠として人は持っているのです。この権利を持っている人を市民というわけです。自己主張の淵源は法廷であることを考えた時、なにを自己主張するべきか、その内容についても吟味をする方向性が与えられるのではないでしょうか。

キリスト教ネストリウス派の日本への伝播と影響について(改訂版)

キリスト教ネストリウス派の日本への伝播と影響について

―日本に影響を与えたのはユダヤ人ではなく、ネストリウス派教徒である―
(―日ユ同祖論反駁―)

YOUTUBEにおいてテレビ東京の「日本ミステリー」という番組で徳島にはユダヤ人(ユダヤ教)の痕跡があるという話題が取り上げられていました。
タイトルはThe Roots of Japan Were Ancient Israel!? - Part 1of7です。
URLは次の通りです。https://www.youtube.com/watch?v=TLc30VSPdgY

  私見によると結論を言えば、ユダヤ教の痕跡ではなく、ユダヤ教の伝統を受け継いだキリスト教の一派であるネストリウス派の痕跡というべきでしょう。当然、日ユ同祖論は支持できません。また、徳島にユダヤ王国があったなどというのも都市伝説の類です。以下にその消息を記します。

  キリスト教の一派ネストリウス派は、コンスタンティノポリス総主教ネストリウスにより説かれ、431年、エフェソス公会議において異端として排斥されました。中国へは、唐の太宗の時代(在位626~649年)にペルシア人司祭阿羅本(アラボン)らによって伝えられ、景教と呼ばれました。景教とは中国語で光の信仰という意味であり、景教教会は唐の時代、大秦寺という名称で建造されました。

  9世紀は空海らが遣唐使として唐の長安に留学した時代です(空海は804年に長安で密教を学び、806年に帰国)。そのころ、長安ではユダヤ教の名残が強くあったキリスト教ネストリウス派(景教)が大秦寺を中心に広がっていました。空海も留学時にこのネストリウス派に触れたのではないかといわれています。

  845年、武宗によって外来宗教が取り締まられ、ネストリウス派は衰微していきます。おそらく、このときにネストリウス派教徒たちは長安を離れたのではないかと思います。ちょうど838年に円仁らが遣唐使として派遣され、847年に帰国しています。ネストリウス派教徒は遣唐使を通じて知った日本に円仁らの帰国便で渡来したのではないでしょうか。

  あるいはもっと早く日本にネストリウス派教徒は渡来していたかもしれません。もともとペルシア人の宣教師がシルクロードを通って長安にまで布教に来たのが中国におけるネストリウス派の始まりであるといわれているぐらいですから、非常に布教熱は高く熱心な一派でした。そんな彼らが長安にとどまったまま100年,200年と過ごしていたようには思われません。おそらくさらに東へと布教したことでしょう。そのルートは布教という目的遂行のために単純に地理的に考えると朝鮮半島から日本へ渡ったというパターンが最も有力です。

  たとえば、秦氏の祖先は、720年に完成された『日本書紀』には百済系渡来氏族であるといわれており、弓月君が百済の127県の人民(19万人)を率いて帰化したとの所伝があります。また、秦氏に所縁の深い伏見稲荷大社は和銅年間(708 - 715年)(一説に和銅4年(711年)に鎮座されました。同様に秦氏に所縁のある木嶋坐天照御魂神社(通称:木嶋神社)は起源は定かではありませんが『続日本紀』の大宝元年(701年)4月3日の条にこの神社の名があることから、それ以前から祭祀されていたとされています。

これにネストリウス派が中国に伝来した唐の太宗の時代(在位626~649年)を考え併せると、少なくとも701年以前にネストリウス派キリスト教徒が日本に渡ってきたという立論も不可能ではありません。ではどのような人々だったのでしょうか。ネストリウス派が中国に伝来した当時、ペルシア人宣教師たちに伴ってきたペルシア人信徒たちの子孫や弓月国の信徒たち―彼らの中に宣教師がいたことでしょう―、さらにその一団が移住した先々で信仰に加わった人々を交えて日本に渡ってきたのではないでしょうか。この中にイスラエル十支族の一部(マナセ一族など)が大勢いたとはいえないでしょう。ましてや白人ではないでしょう。

  渡来したネストリウス派教徒は現在の京都の太秦に落着き、帰化したことでしょう。太秦の地は彼らの長安における寺院名から名づけられたのか、それとも秦氏の大きな集落という意味合いからその地を太秦と名付けたのかもしれません。彼らは先進の文化文物(織機技術、灌漑技術、衛生習慣、行政知識、都市管理、音楽、宗教儀式、学術など)を所有しており、朝廷から重んじられたことでしょう。彼らは長安にあった本拠寺の名称の大秦寺から一字をとり、秦という姓を天皇から賜り、各地に神殿(教会堂)を建設し、そこを信仰生活の拠点としたように思います。京の太秦を中心に教勢は拡大し、今日の秦氏関連の神社(伏見稲荷神社など)が全国各地に残っているのではないでしょうか。

つまり、秦氏は全国にネストリウス派キリスト教を布教し、各地に信仰の拠点に伏見稲荷神社などを建設していったのではないでしょうか。尤も後世にはこうした所以は忘却され、伏見稲荷神社は稲作の神として崇められ、各地に分霊されたのではないでしょうか。そして伏見稲荷神社がある地は京の伏見稲荷にちなんで伏見という地名がつけられていったのではないでしょうか。これが全国に伏見という地名がある理由であるように思います。

ちなみに伏見は「伏し水」を意味し、京都の伏見の伏流水の豊かさを表す地名と言われています。筆者はこれに異論があります。というのも伏見は元来「不死の身」つまり「不死身」と書いていたのではないかと思うのです。さらに、稲荷はもともと「伊奈利」とかき、漢字が使われる以前から「イナリ」であったとされるそうです。イナリには、INARIが転化したという説があります。千葉大学准教授で景教の研究家であるケン・ジョセフ氏などが唱えています。INRI は、ラテン語のIESUS NAZARENUS REX IUDAEORUMの頭字語であり、日本語では「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と訳されます。これはキリスト教徒にとっては実になじみのある表現です。というのも、ヨハネによる福音書19章19節に「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』と書いてあった」と記されています。

つまり、INRIにはイエス・キリストの死を象徴する意味が込められているのです。ここで「伏見」の意味と併せて考えると、伏見稲荷は「ユダヤ人の王・ナザレのイエス、不死の身」を意味しているということになります。この場合、不死の身はキリスト教の重要な教義であるイエス・キリストの復活を意味しています。そうすると、伏見稲荷神社という名称はキリスト教の重要な信仰であるイエスの死と復活を表明(信仰告白)した呼称であるということになります。まさにこのことは伏見稲荷神社の建立は景教つまりネストリウスはキリスト教徒である秦氏の信仰の証しであるといえるのではないでしょうか。

  ヨーロッパでは14世紀に疫病(ペスト)が流行しました。その時にある地区だけペストによる死者が出ませんでした。その地区がユダヤ人街でした。その理由はユダヤ人が宗教儀礼としてのみならず、生活の中でも手洗や沐浴が浸透しており、この高い衛生観念がペストの罹患を防いだのではないかといわれています。同様のことがヨーロッパに先んじて日本で9世紀に起こっていたのではないでしょうか。

  朝廷は疫病の流行により863年に神泉苑で初の御霊会を行いました。しかし、その後も疫病の流行が続いたために御霊会を行って無病息災を祈念しました。そのような社会状況の中で869年に御霊会を執り行ったのが祇園祭の起源であるといわれています。京で疫病がはやったこの時期に衛生観念の発達していたこのキリスト教徒たちは当時の日本社会に衛生習慣を浸透させ、防疫に寄与したのではないかと思います。そしてこの出来事を記念して始まったのが祇園祭なのではないでしょうか。尤も、この祭りの起源は旧約聖書であり、ネストリウス派キリスト教徒がユダヤ教徒から受け継いでいた宗教儀式だったのでしょう。

  のちにこのキリスト教徒らのうち一部は徳島に移住したのではないでしょうか。おそらく布教目的あるいは政争関連かもしれません。そのため徳島のある地域には秦(はた)姓が多く、秦氏関連の神社があるということなのではないでしょうか。ネストリウス派キリスト教はユダヤ教の影響が強かったため、当時の教会堂(神殿)=今日の秦氏関連の神社にメノラー(七枝の燭台)が徴として残っているということのように思います。

『美味しんぼ』福島誹謗事件の今と日本国民の使命

  ひところ、雁屋哲氏がその連載漫画『美味しんぼ』において福島において低線量被爆の結果として鼻出血が以上に多いというデマを漫画にして出版し、政府関係者や福島県関係者、専門家、地元医師など世間から多くの非難を招いた。これについては私自身もいくつかのBBSやyoutubeのコメントで福島擁護・雁屋批判を展開した。

  『美味しんぼ』におけるその問題の描写は、科学的立証を伴ったものでは一切なく(一応、2年間調査した結果だと雁屋はお茶を濁していた=言い逃れをしていたが、その調査手法は素人手法であり杜撰そのもの)、非科学的知見<憶測<邪推に基づく、悪意が隠されたものであった。

 言論弾圧は非民主的な行動である。これはまったくその通りであって言論の自由を自らに都合の良いように勝手に解釈乱用して、今回『美味しんぼ』作者雁屋は福島および福島県民に対する誹謗中傷を展開しようとした。

  しかし、こうした非人道的行為に対して公私を問わず、各界から反論があったことはこの日本に民主主義的良識があることを証明したと言えよう。以後も『美味しんぼ』福島誹謗中傷事件のような、弱者を傷つけ、公序良俗を乱す言論テロリズムは許されてはならない。

結局、あの騒々しかった美味しんぼ支持者は沈黙を守っている。言論テロリスト(以前なら煽動家、アジテーターと呼ばれる)の雁屋らが全国的に支持されていたのなら、いまだ論争は続いていたことだろう。早々と議論が収束したのは、雁屋らの意見がほんの一部の人々にしか支持を得ていなかったことの証拠である。

その支持者だったというのが反日左翼だったというのだから、いわば反日左翼(雁屋やその見解を支持した医師―その妻は朝鮮学校教科書無償化運動のリーダー)の主義主張のために福島や日本が誇る漫画文化が利用されたというのが原因論的実体構造である。つまり、あるイズムの目的達成のための手段にすぎなかった。

  あるイズムとは言わずと知れた反日左翼主義である。このイズムがマスコミを支配し、言論を駆使して日本国民を体制崩壊の道へと扇動しているのである。反日左翼の主義主張の柱は、ソビエト崩壊後その最大の要はなくなったが迷走を深め、とりあえず日本国民にとって益になること(国益)についてすべて反対している。たとえば、反戦平和原発反対、支那・韓国・北朝鮮・在日支持、フェミニズム、米軍基地反対など多岐にわたっている。

  日本国民は神によっておかれた立場や与えられたタレントの善用をを祈りつつ駆使し、自らの国土と社会、将来の日本のあるべき姿を守り抜くためにこうした反体制論者の継続する各種のテロリズムに対して戦っていかねばならない。それは神に召命をうけ、タレントを与えられた者の使命であり、そのようにして神に仕える特権である。私もその一人である。

いざなぎ流神道の起源―5―

いざなぎ流神道の起源の研究

―天の神・御﨑祭祀の起源に関する考察―

前回からの続きです。今回が連載の最後です。

歴史に興味のある方はご一読ください。

結論
  赤鬼一族に始まる山﨑氏が天の神・御﨑祭祀を槇山にもたらしたという仮説を祭祀名や地名、氏名(うじな)、家紋といった名称を手掛かりにアプローチする手法で検討してきた。結果は、どのアプローチも決定的な説得力をもつには至らなかった。

しかし、一応どのアプローチにも幾ばくかの可能性を残す表現で終えることを試みた。資料が少なく、推論に推論を重ね、いわばファンタジーの世界の物語、空想の展開となった。今後はいざなぎ流神道の祭文に著されている中世用語、近世用語、明治以降の近代用語、土佐弁の用語、奥の言葉の用語の意味を考察し、現代の形の祭文が非呪術化の過程を経た結果であることを証明し、祭文の原型は呪術の際の呪文であり、さらにその原型は平家落人による源氏呪詛であるという方向で取り組んでいきたい。


補論 
「屋根裏で隠して祀ることについて」
―天の神・御﨑祭祀は元親公への臣従を示すため秘匿性を纏った―

  既述のように、山﨑家が源氏方であろうと平家方であろうとどちらにしても、あるいは山﨑家が天の神・御﨑祭祀の起源でないとしても、この祭祀は江戸時代に元親公への臣従を示すため秘匿性を纏わざるを得なかったと考えられないだろうか。山内氏が土佐にやってきてから、郷士は山内氏に対抗した(浦戸一揆 )。槇山では山﨑氏や専当氏をはじめとして諸家で戸次川の戦い(1586年)において一族の中から多くの戦死者を出している。元親公への敬愛の念や忠誠意識は非常に強かったと考えられる。元親公を慕う思いは宗教習俗においても現れ、それが体制変革後の藩主に隠れて戦国時代から続く祭儀を継続するという形をもたらしたのではないか。

謝意
  調査に当たっては旧物部村山﨑塩にある山﨑家の方々に大いに世話になった。専門の研究者の関心の外にある「いざなぎ流神道山﨑氏起源説」を山﨑家の方々にこの門外漢がぶつけたわけであるが、そのような小生のお相手を快く引き受けてくださったことに感謝に絶えない。調査する中で歴史へのロマンと純粋な知識欲(研究業績や出版などなにも関係ない)に駆り立てられ、とても充実した日々を過ごすことができた。現地に大量の資料を持ち込むことは困難な中で氏宅では豊富ないざなぎ流神道の関連書籍が所蔵されており、それらを自由に閲覧することが許され、歴史への有意義な追想を得られた。
  
  氏の血筋は長宗我部元親の家来であった山﨑勘解由左衛門山重の長男筋であり、また氏の曽祖父がいざなぎ流神道の太夫であったことも聞かされた。つまり、高知県歴史民俗資料館の二大テーマである長宗我部元親といざなぎ流神道に関連がある家柄であるということである。実に興味深い。長い謝意となったが、これも幸甚に絶えぬとの心情の証とお許し願いたい。


プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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