民俗学に精神医学の視座を据えて…山爺のリアリティ

 以前、山女について行った同様のことを今度はお約束通り山爺に適用します。

 同様のこととは伝説に登場する奇異な人物や妖怪といった民俗学的領域の存在を精神医学の視座において解釈し、民俗学の風土から精神医学の風土において生き生きと描写するという試みです。

 さて、山爺とはなんでしょう。皆さんは聞いたことがありますか。

 
 wikiの山爺に関する記事は常光徹という民俗学の専門家の著書から引用されているようです。この先生が高知出身のため、高知由来の妖怪にはずいぶん詳しい方のようです。
以下、引用しますが、文中の青字は私のコメントです。
wikiによると、次のような妖怪あるいは人物だそうです。
(引用開始)
 一つ目一本足の爺の姿をした妖怪といわれる。土佐民俗学会発行による『近世土佐妖怪資料』によれば高知県をはじめとする四国地方に伝承されており、身長が3~4尺(約90~120センチメートル)、全身に鼠色の短毛が生えており、目は二つ目だが、片方が大きく片方が非常に小さいため、一つ目に見えるとある。

 わたしは山爺は染色体異常による障害者ではないかと思っています。つまり、ダウン症です。山爺は背が低いということですが、これはダウン症の特徴です。ダウン症は最近では高齢出産が多くなり、その高齢出産でダウン症児が生まれるリスクが高くなるということでマスメディアでも結構耳目にする機会が増えました。ダウン症の特徴には次のものがあります。中度から重度の精神遅滞、平坦な特異な顔貌(吊り上った目じり、鼻根部扁平、耳介奇形、舌の延出、後頭部扁平)、筋緊張の低下、短指症などです。また、ダウン症の人は色白で人懐こく、きれい好きな人が多いです。ただ、例外もあります。たとえば、攻撃的(爪を立てて他者をひっかくなどの他害行為など)で入浴拒否を長く続ける人もいます。

 想像するに、ダウン症の両親が生きていた時分までは家族の世話の下にあったのが、面倒を見てくれる人がいなくなって一人で生きるようになったのではないでしょうか。ダウン症の場合、老化が早く、平均寿命は50歳といわれています。山爺の場合、昔のことですから、もっと寿命は短かったことでしょう。孤立した生活が長く続き、衛生面も配慮はなされていなかったことでしょう。髭はぼうぼうでしょう。40歳ぐらいだったのが、もっと高齢に見えたかもしれません。


 一つ目の伝承は、この一つ目に見える二つ目が誤解されて伝わったものともいう。イノシシやサルなどの骨を、まるでダイコンのようにたやすく噛み砕くほどの頑丈な歯を持っているので、猟師たちはこの山爺を餌で手なずけ、オオカミを追い払うのに使っていたという。


 この説明は山爺を無理にダウン症者の枠にはめ込めないものですね。ダウン症では説明できません。個人的特徴でしょう。


 人間の往来する道に現れることもあるものの、人に見られることはなく、6,7尺おきに一足ずつ、杵で押したように
特筆すべきはとてつもなく声が大きいことで、その叫び声は山中に響き渡り、天地を震えさせ、木の葉を落とし、付近の木や岩を動かすほどという。この大声で鼓膜を破られて死んだ者もいるといわれる。

声が大きいことも個人的特徴でしょうか。

 山爺はしばしば人間に大声比べを挑み、猟師が自分の声とみせかけて銃声を鳴らして負かすといった昔話が四国各地に見られる。しかし銃声で騙されたことに気づいた山爺は、クモに化けて相手の家に忍び込み、寝込みを襲って怨みを晴らすともいう。


 四国各地で山爺の大声に関わる伝承があるということは、山爺が四国各地に出没したということでしょう。複数いたのでしょうか。山爺は一人であったという仮定での上に話を進めていきます。常光氏によると、山爺は高知県の旧物部村にいたということですが、この地は山奥の山村で徳島県と県境を接しています。

おそらく、山爺は物部村から徳島県木頭村あるいは祖谷山村、そこから吉野川を越えて讃岐山脈界隈にも出没したのかもしれません。各地でその独特の風貌と奇怪な行動は多くの人を驚かしたことでしょう。その様子は目撃者の家族に伝えられ、その伝承が各地で語りつがれていったかもしれません。

(引用終了)

 山爺はほとんど村人に姿を見せることはなかったそうです。おそらく村人を恐れて生きていたのでしょう。それでも空腹時には里に下りて、民家の家畜をとって食べていたと考えられます。その摂食の様子はまさにイノシシの骨をもバリバリ噛み砕くようなものだったのかもしれません。

 どちらにしても山女ほどの狂気は見られません。このことは山爺が統合失調症ではなく、単に精神遅滞つまり知的障害を伴うダウン症だったことを暗示しています。また、ダウン症児は旧物部村のみにいたわけではありません。物部村と同様の伝承があるということは各地にダウン症児がおり、彼らが親元を離れてから、同じような生活を送り、山爺と恐れられていたのかもしれません。

 なお、猟に際して山爺の力を借りたという点は山爺と村人の交流の記録であり、事実そうした交流はあったのでしょう。当時の村社会はそういう風にして障害者を受容していたといえるかもしれません。もちろんその社会的受容は今日的価値観から言えば十分とは言えません。
スポンサーサイト
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR