グレンデール市の慰安婦象撤去裁判の行方

「「外交ではなく人権問題」米グレンデール市の慰安婦像 韓国系団体、争点ずらす作戦」という見出しで次のような記事がありました。

(以下引用)
米カリフォルニア州グレンデール市に「慰安婦」像設置を推進した「韓国系米国人フォーラム」は国際女性デーの8日(日本時間9日)、像の前で日本政府を糾弾し、謝罪と補償を求めた。像をめぐっては、「日韓の微妙な外交問題にもかかわらず、韓国側の立場のみに立った」として、在米日本人らが撤去を求めグレンデール市を提訴したが、同フォーラムなどは慰安婦問題を「世界中の女性の人権問題」とアピールすることで、訴訟の争点をずらそうとする論理を展開している。
(引用終わり)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140309/amr14030920080006-n1.htm


さて、これについてはこう思います。
 韓国系団体が女性の人権問題に論点をずらそうとしているのならば、日系団体は人種差別問題として徹底的に抗戦すべきです。そもそも戦地売春婦が強制的に連行され、売春行為を強いられたという事実の捏造をもって彼らが行う理由は第一に毀日目的でしょう。

この動機の精神性がどこからきているのかというと、それは韓国特有の伝統的精神構造である小中華主義に基づいた日本蔑視、つまり日本民族に対する民族差別・人種差別に淵源があります。事実を捏造し、現地において日系人を、国際社会において日本を貶める行為はいわれなき「いじめ」にすぎません。

 それは人権問題の最大の問題です。黒人差別やヒスパニックへの差別が厳然と存在しているアメリカではきわめてデリケートな問題であり、この点からアプローチすれば最近のメディアでも人種差別問題で政府関係者やスポーツ関係者が公に処断さているので訴求力を持つと考えられます。

 まずは裁判所側におそらく西洋人には理解しがたい小中華思想をうまく説明し、理解させることのできる論理が必要です。しかし、この人種差別・民族差別問題としてアプローチするならばそのポイントは小中華主義ですから、そうすると慰安婦象設置を指示する支那系団体や東南アジア系団体の参画も理解できることでしょう。

 つまり、彼らは被害者として参画しているのではなく、小中華主義のさらに源である中華主義・中華思想に染まっているからです。中華思想こそ、日本蔑視・日本人差別の本源であり、ここをたたくことによてその亜流である韓国および小中華主義をたたくよりも絶大な効果が期待できます。

 以上のことから、慰安婦像撤去裁判の論点がせっかく人権問題にシフトしてきているというのですから、ここはまさにこれを好機としてとらえ、まさに韓国系団体の小中華主義に基づく行動であり、それは民族差別・人種差別の性格を有していると人権問題として裁判やアメリカ世論に訴えるべきです。そのためにも外交問題としてではなく、史実(実証性が皆無であることを強調)に基づいて反対理論を構築することが肝要だと思います。
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支那人の夫婦喧嘩とプロパガンダの原則

倉山満氏の『嘘だらけの日中近現代史』でこんな興味深いことを学びました。

支那人の夫婦喧嘩はかなり変わっているそうです。日本人の場合は家の中で罵り合い、互いが感情をぶつけあい、自分の言い分を正当化しようとするのが常。まあ口げんかだから、しかも夫婦喧嘩だからそんなもんでしょう。

ところが、支那人の場合は趣が異なるそうです。彼らの場合は家の外に出て相手の非をあかの他人に訴えます。夫と妻のどちらがおおくの賛同者を得るかで勝者が決定する、そういうやり方だそうです。

この方法を知ったとき、あるひとつの外交手法が思い浮かびました。
これは韓国大統領パク・クネの戦時下売春婦に関わる告げ口外交です。
彼女はこの支那人の夫婦喧嘩と同じ手法なのです。

夫婦喧嘩だけではなく、国際間でもめごとが起こった場合もこれは実践されるようです。
いわゆるプロパガンダです。支那のやる反日プロパガンダです。
1931年に満洲事変が起こった時に支那人はこれを実行しました。
そのポイントは以下の4つです。
<<支那人のプロパガンダの手法>>
1.ステレオタイプの情報を豊富に迅速に散布
2.情報の単純化と反復
3.自国に有利なように事実の誇張と捏造
4.宣伝内容の象徴化と権威づけによる効果増強(記念館や記念日、歌など)

上記の4つのポイントを見てなにかを感じませんか。
そうです。今、支那が南京の出来事(といっても日本軍はその前後に通常の戦闘行為しか行っていない。南京市内の死体は国民党による略奪の結果)について日本軍による大虐殺があったと宣伝している際の手法と同じなのです。

日本人は今から80年前に支那にやられたのと同じことをやられているのです。

当時の日本の外務大臣は幣原喜重郎でした。かれは愚かなことに次のような発言でもって野放しにしてしまいます。
「我が国の従来曾て国際の信義を破りたることなき態度と我国民性を了解し、極めて着実にして毫も宣伝がましき行為に出でず…本問題に対するに至らんことを希望せざるを得ず」。

残念至極ですが、今日もこの態度が支配的であるような気がしてなりません。

日本国民統合の象徴―「治す」ということ

日本国憲法第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

大日本国憲法第1条
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治す。

竹田恒泰氏の『日本人の原点がわかる国体の授業』から、日本国憲法の「天皇は日本国民統合の象徴」と大日本帝国憲法の「天皇之ヲ統治ス」は同じことを意味しているということを学びました。

元来、井上毅が大日本国憲法の草案を作ったときに「天皇之ヲ統治ス」の統治スは治ス(シラス)だったそうです。
では「治ス」は何を意味しているのかというと、「天皇が広く国の事情をお知りになることで、自然と国が一つに束ねられること」だそうです(72頁)。

この意味合いは『日本書紀』に 記されている仁徳天皇の「それ天(アメ)の君として立つには、百姓(おほみたから)のため」という句に纏わる出来事に託されています。出来事そのものは省略します。

換言すれば、その意味合いは天皇が存在することによって自然と国がまとまるという和の精神に即した言葉だそうです。
つまり、天皇が国を治すということは、天皇の存在そのものが国のまとまりをつくるということです。この意味は、日本国憲法の「天皇は日本国民統合の象徴」と同じことです。

私流にいうと、天皇は日本国民統合の要です。まさに天皇が日本国を治すことによって、具体的には国民のために祈ってくださっていることによって日本国はまとまっているのです。

伊藤博文は「治ス」という言葉は一般に理解されづらいとうことで「統治ス」に置き換えたそうです。これによって後世において左寄りの見方からは専制君主的な支配と混同される潜在的危険性をもってしまったのではないかと私は思います。

私たちはもっと天皇陛下や皇室について知らなければならないと思います。そうすると、日本という国が本当に帝の国であることを実感すると思います。天皇陛下は世界に比類なき国家元首です。竹田氏の著書はお勧めです。

日の丸・君が代強制反対?ならば...

手元に『信仰の良心のための闘い―日の丸・君が代の強制に抗して―』(いのちのことば社2013年)というブックレットがあります。編集は「君が代強制反対キリスト者の集い」が行っています。

関係執筆者の面々は、「君が代強制反対キリスト者の集い」世話人の星出卓也氏、予防訴訟・処分撤回訴訟原告である都立高校教諭の岡田明氏、日本キリスト改革派教会牧師の袴田康裕氏、大阪府立支援学校教員の奥野泰孝氏、カトリック司教の松浦悟郎氏、キリスト者学生会総主事の山崎龍一氏、東京基督教大学教授の山口陽一氏、日本同盟基督教団牧師の朝岡勝氏です。

趣旨は日の丸・君が代強制は信仰の次元ではキリスト教信仰の根幹に関わる霊的な問題であり、法的次元では思想良心の自由を脅かすために反対し、訴訟問題とした、ということのようです。それにしても日の丸・君が代がどういう消息でキリスト教の根幹に関わる問題なのか、がはっきりしません。彼らは日の丸や君が代を強制されている被害者だということのようです。とすると、それは何を強制されるから駄目だという問題ではなく、強制されること自体が駄目なのだから、とりあえず思想良心の自由を信仰問題としてとらえて反対しているというようにも聞こえます。

なかには日の丸・君が代は戦時中に支那人や韓国人を苦しめた象徴であり、だからこそその使用は東アジア諸国に対して許されないし、自分たちも良心が痛むというような論調も見られます。しかし、そうであるならば日の丸や君が代だけでなく、日本という国名も使用できなくなるのではないでしょうか。日の丸や君が代以上に日本という国名は世界中に知られており、大東亜戦争中にもおそらく日の丸や君が代以上に当時の日本の敵国においては意識されたはずです。そうであるならば、日の丸や君が代だけではなく、もっと根本である日本という国名の使用そのものを廃するように彼らは活動しなければならないのではないでしょうか。

彼らは日の丸や君が代は駄目だといいながら、日本という国名は大丈夫だというのでしょうか。これはダブルスタンダードではないでしょうか?それとも徹底した思考の欠如がたまたまもたらした結果に過ぎない?

つまり、彼らは日本キリスト教団、日本キリスト改革派教会、日本カトリック司教協議会、日本同盟基督教団といった名称に「日本」という国名を使用することは、彼らの件の論理を適用するならば、彼ら自身の主義主張に矛盾しているのです。

この問題については、いずれ関係資料を精査し、―といってもブログで書くにあたって支障のない程度ですが―、この日本のキリスト教界に渦巻いている反日という悪しき思考・行為慣習に対して反論を展開していきたいと思っています。

妖怪を精神医学の見地から見ると―山女と山爺―

民俗学への関心から各地に残されている伝承・伝説に関する関係書籍を読むことがあります。

そのなかで妖怪伝説は突拍子もない描写が興味をそそります。
数ある妖怪の中で山女や山爺について精神医学の見地からリアリティを追及してみます。
山女は東北地方、岡山県、四国、九州など、ほぼ全国各地に伝わっているようです。
各伝承により性質に差異はあるものの、多くは長い髪を持つ色白の美女とされています。
服装は半裸の腰に草の葉の蓑を纏っていたり、樹の皮を編んだ服を着ているようです。

山女は、地面につくほど長い髪に節を持ち、人を見ると耳まで裂けた口で大声で笑いかけるといいます。
あるときに山女に出遭った女性が笑いかけられ、女性が大声を出すと山女は逃げ去りましたが、
笑われた際に血を吸われたらしく、間もなく死んでしまったといいます。

精神医学的見地から検討してみます。
おそらく、山女の実態は知的障害者か統合失調症の女性でしょう。
知的障害や統合失調症があるために彼女らは家族から打ち捨てられたか、あるいは家を出たか、
あるいは家族が早死にしたかの理由で孤独な生活を送っていたのかもしれません。
統合失調症の場合、重度の慢性であるほど極端に身なりや衛生に関する意識が低く、不潔になります。
入浴しない、散髪しないなどよくあります。

重度の知的障害者の場合、衛生的であらねばならないという観念自体がないものです。
発達障害で強迫的に整理整頓や手洗い、洗体をする例はありますが。。。
そうしたことを考慮にれると、山女の「長い髪」は散髪を拒否した結果だと考えられます。
半裸状態もおそらく孤立した生活が長くなっていたのでしょう。

耳まで裂けた口というのは、口角炎が重症化したものでしょう。
はじめは小さかった口角炎をなおりかけの痛痒いときに手の甲でこすってしまい、
ますます創が大きくなり、裂傷や創部が拡大したのでは。。。尤も耳までさけていたというのは
恐怖心に支配されたがための錯覚でしょう。
「大声で笑いかける」というのも、症状は千差万別ですからこうした症例も考えられなくもないものです。
知的障害者の中には愛想よく大声で初対面の人にも「こんにちは」と挨拶する人もいます。
尤もその挨拶とそのほか数語しか発語できません。
また、性欲に富み、人間の男を連れ去って厚遇しますが、男が精力を切らすと殺して食べてしまうというパターンもあるようです。知的障害があるも性欲は旺盛という例はあります。幼少期に性行為に伴う快楽を教えられたのでしょうか。
生来的に淫乱ということもあるでしょう。

山女の正体は人間だとする例として、明治の末から大正初めにかけ、岡山に山女が現れた事例があります。荒れた髪で、ギロギロと目を光らせ、服は腰のみぼろ布を纏い、生きたカエルやヘビを食べ、山のみならず民家にも姿を見せました。付近の住民たちによって殺されましたが、その正体は近くの村の娘であり、正気を失ってこのような姿に変わり果てたのでした。

妖怪伝説や奇人伝承にはその物語の主人公が精神疾患あるいは知的障害を抱えていたと思われる節が多くあります。
それは統合失調症患者や知的障害者が地域社会でいかに過ごしていたのかを示している資料であるように思います。
こうした精神医学の見地から民俗学の分野、とりわけ伝説・伝承を読み解くとそこには当時の精神疾患者や知的障害者をとりまく社会風土がリアリティをもって迫ってきます。

ちなみに民俗学の世界でこうした山女伝説は女性が正気を失った姿ではないかと考えている人もいます。
妖怪探訪家の村上健司氏です。興味のある方は氏の著作物にあたってみてください。
山女だけでここまで書いてしまいました。山爺については後日にということで。。。
私自身、このブログで今回だけでなく、ほかにも河童伝説についても書いてみたいと思っています。
妖怪伝説は単に人間の想像力が生み出した架空の存在とか、教訓的利用とか、
娯楽的産物だけでなく、立脚点を変えて読み込むとそれなりにリアリティが浮かび上がってくるものです。

捕鯨禁止を受けて~日本民族の宿命~

日本民族の宿命というんでしょうか。
日本人は一般的に勤勉で逆境に対してもよく工夫を凝らし、
なんとか切り抜けてきました。
平凡な日常の中には外国人にとっては驚異としか
言えないような忍耐と秩序を保持されています。

当然、その結果は社会の安定と繁栄をもたらします。
その富を狙って外国人は日本を簒奪しようと企んでいます。
諸国からの妬みも国家レベルで襲いかかってきて我が国を脅かします。
今に始まったことではありませんが。

その例が日本への韓国の嫉妬です。
戦地売春婦を従軍慰安婦という呼びならわさせ、
架空の強制連行を捏造したことや、原爆被害の補償、芸能コンテンツのダンピングまがいの売り込み、
竹島の強奪など、直接・間接の侵略が行われています。
そうそう、在外韓国人による戦地売春婦をイメージした恥さらし以外の何物でもない少女像を作ったりしています。

支那では南京の出来事(ただの戦時下の戦闘場面に過ぎないのにそれを大虐殺と捏造)も世界的に日本悪玉説に則って喧伝されています。日本はいつのまにか支那・韓国によって人権侵害国家・虐殺国家に仕立て上げられていっています。

オーストラリアによる日本いじめもひどいもんです。日本の捕鯨をついに国際司法裁判所という世界の司法の舞台で禁止に追い込みました。この背景にはオーストラリアの農業政策やビール会社の悪意が潜んでいるのでしょう。

ちなみにアメリカは戦後ずっと日本を自国の思いのままに利用してきました。
戦後、GHQの指令により伝統的な日本の社会体系が次々と破壊されていきます。
まずは戦闘能力を無にするために軍の解体、
そして軍需産業において巨万の富を得ていたという財閥の解体、民主的=暴力的な自由競争社会へ転換させるために農地改革を行って地主と小作人の関係を解消させていきました。
大地主は排除され、いわゆるGHQを支配していた社会主義者による実験が日本で行われ始めた。
尤もこれはマッカーシー旋風の赤狩りによりGHQの構成メンバーの素性が暴露され、日本社会主義化はとん挫した。

神道指令により、神社と国家の結びつきは立たれ、日本国の存在基盤も崩されてしまいました。
神道そのものへの日本人の関心もなかば悪とされるようになりました。
戦後、60年の間に日本の社会構造はアメリカ風に、考え方も自由個人主義へと、食卓もアメリカ風に変革され、次第に生活習慣病がアメリカと同様に増加しました。以前は牛肉も牛乳も多様なかんきつ類も一般に食する習慣がなかったのにアメリカの農業経営者の稼ぎのために日本国民がターゲットにされていきました。

そういうと、韓国や支那の歴史観に反対すればするほど、アメリカが機嫌を悪くするという構図もあります。従軍慰安婦や竹島強奪、南京大虐殺のでたらめを暴こうとすればするほど、大東亜戦争に関する正しい認識が進み、その果てにはかならず開戦の理由や経過が問題に付されます。

その時に出てくるのがアメリカの横暴―当時大統領であったフランクリン・ルーズベルトの人種差別に基づく日本への経済制裁、無辜の市民虐殺をもたらした大都市空襲、2回の原爆投下―です。日本悪玉説はアメリカの正義を守るために支那や韓国だけでなく、アメリカも守りたいテーゼなのです。

こうしたことを考えると、日本は今世界に包囲され、収奪され続けており、その度合いは日ごとに増しており、あの大東亜戦争開戦前と同じ国際環境下にあるといえます。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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