靖国参拝批判へのささやかな反論

やや空気が冷たく感じられながらも、部屋の中に差し込む日差しの下では暑く感じるぐらいの
穏やかな年末です。日本海側では大変な雪の様ですが、ご自愛くださいませ。

さて、日頃利用しているBBSにおいて私の書き込みに以下の様な反論がありました。
9連休のなか、時間に余裕がありますのでやや相手をします。

<以下引用>
「やっぱりあんたは結局そこへ行き着くんだね。
慰霊の本義って何?参拝という形にこだわること?
本当の慰霊というものは参拝しなくてもできるものだよ。
安倍のは単なる支持団体へのポーズ。

理解されていないからこそ説明をしつつ?
そんなん最初から理解されるつもりなんかないやん。

嫌われてはならないという気持ちがあるのはある意味当然だろう。
多くの物資を海外からの輸入にたよる日本の場合、
孤立してしまったら大変だわ。
変に卑屈になる必要はないし、
毅然とすべき所は毅然とすべきなのは当然だが、
毅然とするところはそこじゃないよな。」
<引用終わり)


以下に逐語的反論です。

「慰霊の本義って何?参拝という形にこだわること?
本当の慰霊というものは参拝しなくてもできるものだよ。」

 この表現こそ、日本人の美意識を全く理解していないことの表れ。日
本人は本質と形の一体性を常に理想としてきた。それがたとえば、武
道の型などにその思想が表れている。慰霊の思いは慰霊の「形・型」
すなわち参拝という形をとってこそ十全なるものとされる。

 そういうことで慰霊の本義とは慰霊の本質と形を伴ってこそのものである。
もっと深く日本人の精神史を学び、日本人の立場になって考えないと
先祖が大事にしてきたものをおまえのような浅慮によって断ち切って
しまうようになるぞ。

 また、この議論の支那側の徹底的展開において
は<参拝行為しない慰霊>だけではなく、<慰霊そのもの>を禁じる
ことになる。これは信教の自由といった基本的人権の侵害となる。

「安倍のは単なる支持団体へのポーズ。」

 だったらもっと早くに参拝しているだろう。

「理解されていないからこそ説明をしつつ?」

 理解されようがされなかろうが、説明していく義務はある。

「そんなん最初から理解されるつもりなんかないやん。」

 理解されたいという思いを持っているからこそ、説明するのである。
諸外国には日本人の持つ敵も味方も死ねば、神様としてお祭りするという
信仰があるということを説明していかねばならない。

また、世界に向けて、特亜三国の捏造史に反論し、アメリカによる日
本悪玉史観に抗議し、コミンテルンにからめ捕られていた当時のアメ
リカの謀略をこそ暴かねばならない。

「嫌われてはならないという気持ちがあるのはある意味当然だろう。」

 嫌われる・嫌われないは近所関係では常識的な価値観だろうが、政
治においてはそうならない。政治(とりわけここでは外交)は利潤と
軍事の複合的力学であって、金儲けできると判断すれば仇敵であって
も取引するのが常道。

「多くの物資を海外からの輸入にたよる日本の場合、
孤立してしまったら大変だわ。」

 実際に先の大東亜戦争ではそうなった。その原因は、スターリンが世界
におくりこんだ共産主義スパイがアメリカや日本の政治中枢にしのび
こみ、アメリカは大戦を通じて国力の疲弊、日本は敗戦革命を通じ
て共産主義化におかれるという、彼の謀略だった。

 日本は多くの物資を輸入している以上に多くの物資を輸出している。
たとえば、韓国は日本の首相が靖国参拝しようとも日本から自動車や
電化製品の部品を輸入することをやめはしないだろう。そんなことし
たら、ヒュンダイやサムソン、LGは製造中止に追い込まれ、破綻し、
そうした財閥企業にGDPを負っている韓国経済そのものが先の通貨危
機のとき以上に破綻してしまうからだ。

「毅然とすべき所は毅然とすべきなのは当然だが、
毅然とするところはそこじゃないよな。」
毅然とすべきところはどことどこだろうか。国柄をかたちづくる最も
根幹部分において毅然としていなければ、根なし草国家にすぎない。





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クリスマス説教

 クリスマス前に行った説教です。手元に聖書を置き、紐解きながら読んでください。インターネット上でも聖書は公開されています。検索してどうぞ。使用している聖書は新共同訳聖書です。

聖書日課 詩篇145篇3-9節 
説教題『記念とし』
賛美119「主のみたまくだりまし」(聖文社発行の教会讃美歌)


詩篇145篇3-9節
大いなる主、限りなく賛美される主
大きな御業は究めることもできません。
人々が世々に御業を代々をほめたたえ
力強い御業を告げ知らせますように。
あなたの輝き、栄光と威光
驚くべき御業の数々をわたしは歌います。
人々が恐るべき御力について語りますように。
大きな御業をわたしは数え上げます。
人々が深い御恵みを語り継いで記念とし
救いの御業を喜び歌いますように。
主は恵みに富み、憐れみ深く
忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
主はすべてのものに恵みを与え
造られたすべてのものを憐れんでくださいます。



導入
 クリスマスを二週間後に控えています。イエス・キリストの御降誕に備えるこの時期に、145篇はどんな意義があるのでしょうか。皆さんはその意義をどのように受け止めていらっしゃるでしょうか。

聖書とキリストの関係については、「旧約はキリストを預言し、新約はキリストを証言している」と言われます。今日の聖書日課からもキリストについての預言を聞き、そうして新約の中にキリストを証言するような聖句に出会いたいものです。

詩篇はキリストが語り、キリストについて語っています。それは詩篇が<福音>を語っているということです。私たちはそれを聞き届ける霊的な耳を持たなければなりません。この145篇には新約のキリストに結びつく「福音の小窓」のような聖句が少なくともひとつあります。

そうして新約のほうにはこの聖句に対応する「恵みの食卓」があります。私たちは今、145篇という「詩篇の家」の外に佇んでいるようなものです。この家の「福音の小窓」から中を伺うと「恵みの食卓」が見えます。そこに私たちの求めている福音があるのです。

本論

 「なぞかけ」のような入りですが、テキストを読み進めていきたいと思います。この詩は冒頭に、「神は私にとってなんであるのか」がはっきり示されています。詩人は「わたしの王」といっています。「王」という言葉は10節以降の「主権」「統治」といった言葉と強い結びつきがあります。神はどのような意味で「王」なのかというと、10節から知ることができます、「主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し、あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ」(10節)。

神はすべてのものの創造者であり、「被造物すべて」を「統治」し、被造物に対し「主権」を持っておられる王です。詩人はこの王を、時代を超えて、そして世界といわず宇宙も含めて、生物・無生物の境界をも越えて、すべての被造物が賛美するようにと祈っています。王としての働きは「力強い御業」といわれています。この御業は世界創造のことだけではなく、7節を読むと「救いの御業」も含められているようです。

 「救いの御業」とは当時の詩人を初めイスラエルの人々にとっては出エジプトの出来事でした。モーセによってイスラエルの人々がエジプトの苦役から解放された出来事です。イスラエルはこの救いの御業を覚え、神を救いの神、恵みの神として愛し、信じていました。だからこそ8節にあるように告白し、皆がこの神をたたえるように祈っているのです。

さて、救いの御業にまで話を進めてきたところで、はじめに語った「福音の小窓」とはどこなのでしょうか。それは7節です「人々が深い御恵みを語り継いで記念とし救いの御業を喜び歌いますように」(7節)。ここに出てくる<深い御恵み・語り継ぐ・記念・救いの御業>といった言葉から何か連想しませんか。

クリスマス? 最終的な答えはそうですが、説教の結論を先取りされると困ります。クリスマスの前にこの7節に対応する新約聖書の箇所を見つけたいのです。どこなのでしょうか。なぞかけもクライマックスにきましたが…。

私が7節から連想するのは、聖餐の制定辞です。1コリント11:25-26です(新約314)、「・・・」。そこには<記念・告げ知らせる>という言葉が出てきます。ここで、「記念」するその内容、「告げ知らせる」その内容とはキリストの十字架の御業であり、それは「深い御恵み」以外のなにものでもありません。

私たちが今あずかっている聖餐式は、145篇7節の「人々が深い御恵みを語り継いで記念とし、救いの御業を喜び歌いますように」という祈りの伝統の中にあるものではないでしょうか。ではそのキリストとはどういう方なのでしょうか。

詩編を著した詩人は出エジプトの出来事を通して神が恵みの神であることを知っていました。その神とは、詩人によれば14節にあるとおり、「倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださ」る、そういうお方です。現実にイスラエルの歴史には度重なる戦乱の中で大人や子供のそうした姿がありました。

そのような歴史の中で、イスラエルは神がそのように恵み深い方であることを教えられ、望みつづけました。そうして時が満ちたとき、倒れようとする人を支え、うずくまっている人を助け起こす人が現れました。人々はその人を見て神とはこのようなお方ではないかと、その憐れみ深い言葉や振る舞いに驚きました。その人こそイエス・キリストでした。

神の「深い御恵み」は十字架に最も強く、最も深く現されました。主イエスの十字架を見つめましょう。そこに救いがあります。自らの罪に苦しむ人、弱さを嘆く人、不安に襲われている人、他人には言えないけれども、心の中にしこり・わだかまり・気がかりがある人、そうした人々は18節に目を留めましょう。

「自分はそうでもないなぁ」という人はどうしましょう。その人こそ、罪人です。先の人々にも増して主イエスを見つめましょう。主イエスはあなたの近くにおられ、あなたを支え、助け起こしてくださいます。

結論
 「福音の小窓」から見える「恵みの食卓」とは、145篇7節から辿ることのできる聖餐式です。聖餐式の中で神の深い御恵みが語り継がれ、記念とされ、救いの御業が喜び歌われています。そこで十字架の福音が語られ、イエス・キリストが証言されています。聖餐式は私たちにとって主イエスが必要であることを教え、クリスマスに向かって私たちを備えるのです。

祈り
 恵み深いイエス・キリストの父なる神様
主の御降誕を覚えるときが近づいてきました。どうか、私たちに、私たち自身の罪深さを示し、キリストがかけがえのない方であることを一層深く覚えさせてください。主イエスの御名によって祈ります。

安倍首相の靖国参拝について

とりあえず靖国参拝したのはよかった。
やって当然のことといえるが、この時代にあっては英断というべきだろう。
本当ならば、就任早々あるいは8月15日に参拝すべきだった。
天皇誕生日後だったのは思慮のある判断だったとも取れる。

アメリカは極東アジアの平和的観点とアメリカ=正義・日本軍部=悪の観点
から靖国参拝を批判する。韓国はいつものごとく悪政批判を反日のシンボル
靖国批判を行っている。支那は韓国と同様の政治的動機から靖国批判を行っ
ている。

日本は日本のやり方で先祖の貢献を感謝し、記念すればよい。他国
に干渉される筋合いのものではない。日本政府はもっと強く独立国家にふさ
わしく堂々と自国の伝統文化に従って歩むべきだ。

日本国民はアメリカ人や支那人や韓国人ではないのだから、
そしてマルクス主義者でない以上、首相による日本の素朴な先祖崇拝に基づく英霊崇拝を支持すべきであろう。

聖書には国家がその国の伝統に即した先祖への宗教行為を実施することを一切否定していない。
キリスト教国家にはそれなりの、仏教国家にはそれなりの
そして日本には神道流の先祖の功績を覚え、感謝し、記念する方法が許されている。

年の暮れ近くになって

このブログを立ち上げたころから今まで福祉団体に勤めてきました。来年から仕事を変えます。医療団体に勤めます(ちょっとぼかし気味に表現しています)。もう少し具体的に言いますと、精神科病院に勤めます。それに伴い、県外へ転居します。今後ともよろしくお願いいたします。

先日、自分へのご褒美に白水社の仏和大辞典を買いました。6年ほど前からほしかった代物です。購入金額は28,000円のところを、Amazonで中古を4500円ででした。この辞典を使いこなせるようになるまでは…と購入を渋ってきました。

さきほど読んでいて、痺れた文章があります。神学の基本的言辞の代表的なものです。力強さに惹かれました。
Alle Erkenntnis geht aus von der Sinneswahrnehmung; wahrgenommen wird das Einzelding, die res singularis.(あらゆる認識は知覚から出ている、すなわち個物、res singularis(=個物)は知覚される。)
W.von Loewenich,Luthers Theologia Crucis,p.74

プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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