松江市教育委員会による『はだしのゲン』の閉架措置について

松江市教育委員会による図書館における『はだしのゲン』の取り扱いについて取りざたされている。
本日、松江市教育委員会は閉架措置を撤回した。
これは間違った判断であると私は考えている。

先の戦争について左翼的史観による児童洗脳図書は図書館から排除するべきである。
あのマンガ本を閲覧する場合には良識ある成人がどこが間違っているのかを注釈しながらならばいいだろう。
たとえば、そのような場としてメディアリテラシー育成の教育現場ならば、有効に教材になることだろう。

『はだしのゲン』はあのアイリス・チャンによる『レイプ・オブ・ナンキン』と同程度の質であり、排除して構わぬ代物である。

今日になってやっとこうした声が上がり始めという事態そのものが日本人の頭脳がリベラル左派(アメリカと支那のミックス史観…その中心題目は東京裁判史観なのだが)に支配されてしまっている証拠である。
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大相撲の起源とキリスト教の関係

次の動画を見てほしい。
 内容は大相撲と古代イスラエルの文化的相似を伝えた某テレビ番組。
http://www.youtube.com/watch?v=U9NqwW6Bka8
 番組では起源、言葉、使用物品などの共通点から上のことを主張している。

しかし、思うに…
 現代の大相撲から近世の相撲を通じて一気に古代イスラエルにつなげるのではなく、古代イスラエルの伝承を聖書を通じて信仰体系に組み込んでいたペルシア生まれのキリスト教ネストリウス派(景教)の伝道師や信者たちが相撲をも含めたその文化を中世の日本に持ち込んだと考えるのが至当だろう。ということで相撲のエジプト起源説や古代イスラエル12部族の末裔による伝播という線は崩れるのではないか。そうすると、日本の各地にある古代イスラエル伝説(青森のイエス・キリストの墓、徳島のアーク伝説のある剣山系、京都の祇園祭など)はイスラエル12部族の末裔が日本にそうした文化の諸側面を伝えたというのではなく、ネストリウス派教徒(景教徒)がツあてたとみるのが適切であろう。では、そのネストリウス派の一団は以下にしてきたのか、さらにどういった一族なのか?おそらく、支那地域(当時は唐の太宗の時代)におけるネストリウス派の本拠地太秦寺のあった町から来日し、のちに帰化したた秦氏一族ではなかったのかと考えている。おそらく、秦氏一族が渡来してきたとき、彼らの進んだ文化は日本人を圧倒したことだろう。

「動じない」ということについての研究…哲学と神学の狭間で

 2005年に提出した修士論文の要旨です。

 16世紀に現在のベルギーを中心にして活躍した文献学者ユストゥス・リプシウスのDe Constantia libri duo(『不動心について』)について考察しました。

論文題
ネオストア主義者ユストゥス・リプシウスの研究

―『不動心について』を中心にして―

1.研究の目的
 私の元来の学問的関心である合理性を巡るカルヴァン主義とストア主義との関係を考察するに当たって、ユストゥス・リプシウスは理想的な研究対象である。彼はルネサンス後期にストア主義を復興させた立役者である。彼は宗教面においてはカトリック、ルター派、カルヴァン派に次々と転向した経歴を持つ。また彼は学問面においてはセネカに大きな関心を生涯にわたって持ち続けた文献学者であった。その彼が1584年にストア哲学に基づいた『不動心について』を著した。当論文の目的はルネサンス後期におけるリプシウスの思想史的意義を明らかにすることである。その際に『不動心について』におけるストア主義とキリスト教との関係に注目する。なぜなら、この点にリプシウスの思想的特徴があるからである。

2.構成
 本論は3部から構成されている。第1部は歴史的理解の部である。第2部は『不動心について』の解説の部である。第3部はまとめの部である。第1部は、ネオストア主義についての理解(第1章)、『不動心について』の執筆時の社会的背景の理解(第2章)、リプシウスの生涯の理解(第3章)を目的とする。第2部は『不動心について』の内容理解と、著者のストア主義とキリスト教の扱い方を考察することを目的とする。第3部にはそれまでの議論を踏まえての総合的見解を記す。最後に私訳を付録につけた。

3.要約
 第1部第1章第1節) ストア哲学は紀元前3世紀に社会的混乱の中に生まれた救済的性格をもつ思想である。この思想は当初から自然哲学、論理学、倫理学から構成され、それは単なる一つの学問体系ではなく、人間の生き方を示す思想であった。特にローマ帝政期に活躍したセネカの思想はストア哲学の倫理学の代表である。リプシウスはこのセネカを範にして『不動心について』を著した。
 同第2節) 『不動心について』に関わる二様の評価に端を発する問題がある。それは、リプシウスは本書においてストア主義とキリスト教とを調和させようとしたのか否か、という問題である。このために、まずストア主義とキリスト教との関係性を歴史的に考察した。両者は本質的に相反する思想である。しかし、古代からキリスト教はストア主義の影響を受けてきた。特にそれは教義の面よりも、倫理学の領域において顕著であった。リプシウスの本書はまさにこの倫理学の領域に属するものである。彼において両者が調和・結合・融和された可能性がある。
 同第3節) リプシウスが属するルネサンス期における人文主義について考察した。ルネサンスは人間理解を含めた世界観が中世的神中心主義から近代的人間中心主義へと移行する思想的運動である。この過渡期に万人に共通する普遍的な道徳を成立させうる理論的根拠が求められた。このとき古代ストア哲学が教える「共通の人間性」が注目された。人文主義者による古典古代の文献学的研究はルネサンス期の道徳哲学を洗練した。リプシウスはこの人文主義者の典型であり、優秀な文献学者であった。
 同第4節) ネオストア主義とは、キリスト教徒が受容しうる形で古代ストア主義を甦らせようとした16世紀末と17世紀初頭の一つの重要な知的運動であった。ネオストア主義者は近代的人間像の確立に貢献した。汎神論、唯物論、決定論と特徴づけられるストア主義は、キリスト教とは本来的に相容れない。しかしながら、後期ルネサンスにおいてキリスト教化されたストア派思想はキリスト教徒の感情や思想に適合するものであった。リプシウスはこの思想運動の先駆者であった。彼のストア哲学に関する学識はストア哲学3部作に表明され、後世に影響を残した。
 第2章) リプシウスの生きた時代のオランダはスペイン領であった。スペインの国家破産の煽りを受けて、スペイン軍兵士が略奪に走り、国内は騒然としていた。そのような混乱の中にあって一般の人々に慰めを与える不動心を説くためにリプシウスは本書を執筆した。このような混乱した社会事情はヘレニズム期のストア哲学の誕生とルネサンス期のストア哲学の再生との間に共通する時代背景である。
 第3章) 私たちは個人史の観点からリプシウスの生涯と人物像を考察した。ここで彼の悪名高い宗教的変節の原因を問い、そしてそれがストア哲学への彼の関心に関係するものであったことを確認した。彼は主義・信条のために自らを犠牲にするような人物ではなかった。彼の宗教的変節は学者生活にふさわしい研究環境を保持することに起因した。彼にとっては、社会的混乱の要因の一つとなっていた宗教的正統性の問題よりも、諸教派の相違を越えて共通して主張が可能であったストア派の思想-慰めの思想-を提示することがより重要だったのである。
 第2部) 本書を要約したことによって抽出された主要なテーマをストア主義とキリスト教との間で評価した。その際の大きな関心は、リプシウスはストア主義とキリスト教とを調和させようとしたのか、という点であった。本書に見られるリプシウスの様々な工夫と思索の跡は、彼がストア主義とキリスト教との調和を本書において図っていたことを示唆している。しかし、両者の調和化そのものは本書の目的ではない。それは一般の人々に慰めを与えるという目的に従属した方法上のものである。
 第5章) ストア主義とキリスト教との間で問題になる「不動心」を巡る評価を扱った。リプシウスはキリスト教の諸教派間の対立を越えたところに慰めを見出そうとした。その慰めを不動心というストア派の思想形態でもって提示したのである。リプシウスの提示した不動心は、当時のキリスト教世界にとって有益であり、受容可能なものであった。
 
 結論
 (1)リプシウスの思想史的意義について。彼は、ネオストア主義の第一人者であり、ストア派の思想を当時の倫理学的要請に答えうるような形でストア哲学三部作によって後世に伝えた。このことによって彼は近代的人間像を形成するための思考の材料を16,17世紀に提供したのである。
 (2)『不動心について』におけるストア主義とキリスト教との関係について。両思想の調和化は最初から企図された思想史的挑戦ではなく、本書の執筆目的に従属した方法上の結果であるにすぎない。
 (3)『不動心について』は執筆にふさわしい人物を得ていたかという点について。ルネサンス後期の倫理学的動向と、リプシウス個人の資質と学識とが程よく結びついて『不動心について』が生まれたのである。
 (4)『不動心について』の今日的意義について。国内外の陰惨な事件が多発する中で、慰めを得るための個人的な心理的処置法の中にリプシウスの教える不動心を数えることも有効であろう。しかし、より根本的には彼が不動心を確立する方法として教えていた理性的心術が重要である。理性的な思考や道徳生活を養うことの必要をリプシウスは今日の私たちに教えているのである。(了)

終戦の日8月15日…メディアに思うこと

この日に向けてマスメディアでは戦争の悲惨さを伝える番組が目白押しだ。
もちろん、戦争はいけない。避けられるものなら、避けるべき最大限の努力をすべきである。

それは先の戦争、すなわち大東亜戦争開戦前にも行われた。
わたしの父方の祖父は大宮島(グアム島)で戦死した。母方の祖父はニューギニアやフィリピン、ビルマ戦線に赴いた。そして私自身自衛官の経験がある。

この季節のテレビ番組について思う。
戦争反対のあまり、戦死者をあざけっていないかと。
彼らの死を最大限に悼むとき、それは美化につながる恐れがある。
そのため、番組構成は戦死者は一貫して犠牲者として伝えられ、やれ戦争に反対していたとか、悲惨な戦争体験の数々、なかには残虐な姿を映像を通して具現化し、視聴者の脳裏に焼き付ける。

このとき、彼らの国を思う思い、彼らの純粋な思いをだまされた結果だといわば犬死同然の扱いにしてしまう。たとえ、それを前面に押し出さないとしてもだ。結果的にはそういう結論を視聴者の意植え付けてしまう、そうした番組構成になってしまっている。
そして、彼らの死を美化しようものなら、戦争肯定論者、右翼といったレッテル張りが横行する。

そうした方向性は戦死者の犠牲性を国外にも適用拡大する。つまり、韓国や支那は日本の犠牲になったと。そして日本軍は加害者であると。まさにそれは極東軍事裁判いわゆる東京裁判史観そのものである。

つまり、この記事の結論はNHKも民放もこぞって戦後アメリカ民主主義教育いわゆるアメリカ正義史観=日本悪玉史観を68年にわたって垂れ流し、日本国民を洗脳し、経済的・政治的にだけでなく、それ以上に精神的にアメリカに隷属化教育を継続しているのである。

反日国家の醜業への反論

特亜三国の反日行動に対する反論のための好材料を推薦します。

水間政憲著
『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』
      『ひと目でわかる日韓併合時代の真実』
      各1500円、PHP研究所
両著とも帯には「当時の写真史料を満載したビジュアル解説本」と謳われています。

見出しには次のようなものがあります。
・耕地面積を倍増した総督府
・日本統治時代から始まった鉄道整備
・日本統治時代にあった遊郭街
・戦時国際法に違反して毒ガスを使用した中国
・交戦地区の子供たちも日本兵を怖がっていなかった
・目的のために歴史史料を歪曲した朝日新聞

興味のある方はぜひ購入して真実を知り、その知りえた事実すなわち良い知らせをを伝え広めてください。
聖書にもこうあります。
「良い知らせを伝える者の足はなんと美しいことか。」ローマ書10章15節
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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