天皇陛下

いま手許に日本キリスト改革派教会が発行した『国家と宗教に関する問答集』(1996年)があります。日本の政治問題に関するキリスト教会の考え方を一教派としての立場ながらもわかりやすく網羅的にまとめたものとして貴重なものです。

天皇陛下について考えるとき、非常に問題を複雑にさせているのが現行の日本国憲法であることをまず知らなければなりません。その第1章において天皇について記されています。GHQ作成・監修のこの敵国製憲法はそもそも占領国による恒久法制定は国際法違反です。この問答集を作成した有識者はこの事実を知らないのでしょうか。後の祭り言いになりますが、少なくとも、日本は独立後に独自憲法を制定するべきでした。今に続くこの占領下憲法には多くの矛盾があります。特にそれは天皇、軍事力、憲法改正にかかわる内容において顕著です。

憲法作成当時の日本側の担当者は天皇を柱とした国体を護持せねばならぬという大原則をアメリカ側が押し付ける天皇無力化及び民主主義化に対していかに貫徹するかという重大事を抱えていました。その相克に悩み、そして努力した結果があの矛盾を内包した記述となのです。

たとえば、天皇の地位は国民の総意に基づくものと記されています。しかし、ここに言われている総意など取り付けられた事実はまったくありません。

天皇陛下は現行の占領下憲法においては祭祀権をもたず、ただ宮中祭祀として私的に行っています。天皇陛下は占領下憲法においては戦後元首でもなく、君主でもない地位にあり、ただ私的祭儀を司る祭司です。そんな地位に貶められながらも天皇陛下は祭司として古来からの伝統に基づき、日本のため、国民のため、世界のために祈り続けています。

古来より天皇陛下は他国の王とは異なった位置づけにあり、その地位は祭司王というべきものでした。国民との関係においては国民の幸を願い、とりなしの祈りを捧げる存在でした。人々は古来よりその尊崇の念を時代により温度差はあれども天皇陛下に対してもっていました。それだからこそ、江戸時代から明治時代への政治体制の移行である大政奉還が可能となったのです。

聖書とりわけ旧約聖書において明らかですが、国家と宗教とは強く結びついています。というのも、国という単位における指導者は自らの権威を正当化するために究極の存在つまり神に依存してきました。宗教によって王の権威づけが図られてきたのです。日本においてはその役割が天皇陛下と結びついています。天皇陛下は政治的権威を与える祭司王としての地位をそれゆえに長年月にわたって保持しているのです。

この日本国と天皇陛下との関係性を否定するキリスト者は、旧約聖書において例示されている一般啓示論および宗教の種子論を否定する輩といえるでしょう。不信の徒以外の何ものでもありません。ぜひとも、キリスト教会には公正な目をもってほしいものです。

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竹島問題

日本キリスト改革派教会の漆崎英之牧師は、2006年にアトランタの韓人教会で現地のメディアや同胞新聞記者らを招待した席で「日本がこれまで強く領有権を主張して来た独島(竹島)は日本の領土では無い事が明白だ」と語りました。

記者会見で「歴史を続けて歪曲する自分の祖国、日本を告発する」と息巻いた漆崎英之牧師は「日本は1905年独島を島根県に編入、1910年韓日併合を通じて韓国に対して植民地支配を早速開始した」とし、「独島の領有権の主張は日本が韓半島侵略を正当化するための方便で、必ず真実を究明しなければならないし、公式謝罪しなければいけない」と声を高めたそうです。

以前は私も反日的思考を持ち、韓国人牧師や韓国人神学生に個人的にも公的にも日本の戦争犯罪を謝罪した覚えがあります。ところが、終戦直後、青年だった先輩牧師が天皇陛下に対して悪感情を持っていなかったことや(日本人クリスチャンにとって天皇陛下はいわば悪の権化)、その先輩牧師がビルマでの従軍において植民地化していたイギリス兵を追放し、ビルマ人に感謝されたといっていたことが非常に気になっていました。その後、文献やとりわけインターネットを通じて日本軍の真実の姿を知るにつけ、大変先祖に対して申し訳ないことをしてきたことを後悔しました。

この漆崎さん、お調子者ですね。嘘を平気でつく韓国の主張を十分吟味することなく、そのまま鵜呑みにし、それを支持するとは歴史に対する学究的態度はもちろんのこと、聖書学分野における歴史的実証性 への追及をまったくこの竹島問題には向けないというダブルスタンダードを感じます。

日本は韓国を侵略していません。1910年の韓国併合は内政の混乱を抱え、政情不安定な状態を日本は気乗りしないまでもロシアを牽制するために東アジア圏の安定確保をする必要から欧米の侵略国家の了解を取り付けて併合したのです。

この韓国併合の国際法的正当性について日本を糾弾するために韓国側は国際法学者を一堂に集めてシンポジウムをアメリカで開きました。その席上で英国ケンブリッジ大学の国際法学の泰斗J. クロフォード教授は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、韓国併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年(大正3年) - 1918年(大正7年))以降のもので、当時としては問題になるものではない」としています。韓国は返り討ちにあいました。つまり、韓国併合は侵略行為ではなかったということです。

竹島を武力支配しているその不当性については李承晩ラインという根拠なき国際法違反行為を追及することや日本漁船の拿捕や射殺、多数の古地図の確認などで証明されます。

日本人と韓国人のどちらが嘘をついているのでしょうか。日本人は古来より正直者として知られ、現在も世界中で日本人は親切、嘘をつかない、誠実、礼儀正しい民族だと評価されています。他方、韓国人はベトナム戦争時に村を丸ごと焼打ちにして虐殺をしたり、現地の女性を強姦して儲けたライタイハンについて何の謝罪も賠償もせず、今に至っています。また、東南アジア諸国は韓国人男の異常な民族差別と暴力行為のために韓国人との結婚を禁じています。韓国人のうそつきは世界中で有名です。

例えば、自動車メーカーの現代(ヒュンダイ)はヨーロッパ市場に先行していたホンダを出し抜くためにエンブレムをホンダに似せたものにし、自社の車を日本製とヨーロッパ人に勘違いさせて買わせるという方法をとりました。サムスンやLGといった電気製品メーカーも同様のことをしています。

日本の文化(富士山や相撲取り)をつかったコマーシャルを作り、自社製品を宣伝しました。こんなうそつき傾向は「嘘も百回つけば本当になる」という彼らのことわざが証明しています。こうした彼らの行動様式は竹島問題にも現れているとみるのが妥当でしょう。

まずは竹島の所属を国際司法裁判所で明確にすべきです。そのために聖書風に言えば、「一粒の麦地に落ちて死なずば」的に日本人の誰かが犠牲になる必要があるかもしれません。一人の日本人が竹島において身柄確保されることによって日本政府は積極的に法的措置を講じる必要に迫られるでしょう。

そしてその過程において、武力行使を必要とする事態になるかもしれません。必要とあらば、国際的に国威を示すために実力行使することは軍事上必要なことです。竹島を奪還したうえで、韓国に対しては日本の国益を重視し、彼らの民族的特徴を理解し、戦略的に気長にかかわっていくべきでしょう。

クリスチャン人口が国民の3割を占める韓国人にはぜひとも聖書が示す神の義に自らの国民性を照らし合わせ、国際的見解に鑑みて歴史問題に関して悔い改めを行ってほしいものです。それがあってこそ、神の義が明らかにされ、神の栄光が現れたといえるでしょう。堕落後の罪深き民族的資質に神の義が勝利するのです。

韓国の主張を支持するこの頑迷な教会的イデオロギーこそが私が以前の所属教派を出た理由の一つです。

よろしければ以下の図書を参考にしてください。
『マンガ嫌韓流の真実!』大月隆寛ほか著
『日中韓歴史大論争』櫻井よしこほか著
『歴史通』2012年3月号 ワック出版
『日中韓2000年の真実』拳骨拓史著
『日本よ、歴史力を磨け』櫻井よしこ著


動画もどうぞ
http://www.youtube.com/watch?v=wDu1FwASbSo 併合時の韓国について
竹島関連の動画多数ありますのでどうぞ。

いざなぎ流神道…遊ぶ神

2月8日にNHKの新日本風土記というBS番組で「神々の棲む村」と題して旧物部村のいざなぎ流神道の信仰に生きる人々の生活が出ていました。

ここは父方の里です。この番組の中でキリスト教に通じるものがあるなと感じたことがあります。それは太夫さんをはじめ村の人々が「神が遊ぶ」「神が喜ぶ」といった表現をしていたことです。

信仰者が神を喜ぶといった表現は普通に聞かれます。しかし、神が遊ぶという表現はなかなかキリスト教会では聞かれない表現ではないでしょうか。ただ、アーノルト・ファン・ルーラーというオランダの神学者はそうした表現を使いました。彼はキリスト教信仰は喜びであることを強く訴えました。

例えば、神は世界を創造しました。その創造の行為は神の遊びです。「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた」(創世記1:3,4)。神が良しとされたとき、私たちが神は私たちの喜びの源であり、その神を仰ぎ見、楽しむならば、神が満足感と喜悦からにっこりと微笑んでいるのが見えないでしょうか

この番組を見ながら、「神が遊ぶ」「神が喜ぶ」といった表現を耳にしたとき、私は「そうしたことを神学生時代に学んだなあ」とふと思い出しました。なお、傍線部はあくまで私個人の感想です。そこまでは神学校では教えられていません(笑)。

ウエストミンスター小教理問答の問1は「人の主な目的は何ですか」と問い、その答えとして「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」と答えています。たしか、ルターも神が遊ぶといった表現を使っていたか、あるいはそれに近い表現をしていたように思います。

父方の曽祖父はいざなぎ流神道の太夫でした。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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