LGBTの社会的認知に潜む危険性

LGBTなどとわかりにくい不明な略語で表現して万人受けを狙っているこの概念は、実は共産主義による伝統的性風俗の破壊がその根底にある。ゲイやレズのその性生活の実態を知れば、男同士が男根をしゃぶり、肛門性行に興じたり、女同士が性器をこすりつけあうなど、よくイメージしてほしい。誰しもが嫌悪する内容である。また、出産という人間の再生産過程を放棄した人生設計をひとつの家庭としてもつのだから、持続可能社会に対する反抗、その否定でもある。

LGBTはその存在を否定しようもない事実ではあるが、かといって日の目を見、大声で社会的推奨を受けるに値するものではない。それはあくまで社会悪として存在するものである。それは人間の生と性の陰の部分であり、日の目を見ることなく、闇の中でぐ喚く欲望の業である。LGBTは倫理道徳的権利の概念範疇ではなく、あくまで欲望の概念範疇に属するものである。それは倫理の教科書に載るものではなく、エログロナンセンスの雑誌に載るにとどまるべきものである。過去にエログロナンセンスの雑誌のネタでしかなかったものが、なぜ中学や高校の教科書に堂々と載っているのか。

LGBTは共産主義が推進する日本の伝統的性道徳の破壊とそれを推進する日教組の陰謀である。これは、日教組が主導し、教育の現場で問題となったあの性教育の行き過ぎと同じ問題性を実は宿している現代用語である。
スポンサーサイト

LGBTはジェルジ・ルカーチの亡霊思想

昨今、LGBT啓発の番組や記事が多い。これにはまさにプロテスト(抗議)する。少子高齢社会をなんとか打破しようとするいっぽうでこんな状況では矛盾も甚だしい。LGBTはいまや市民権を得、不道徳ではなくなり、批判の対象ではなく、白眼視の対象ではなくなりつつある。それで本当にいのだろうか。持続可能社会はこれで保障されるのだろうか。

思想史的にはLGBTはジェルジ・ルカーチの亡霊である。ルカーチがこの世に残し、いまや様々な分野で隆盛を極めつつある思想史におけるペスト(黒死病)である。これに罹患すると社会そのものが黒死病を呈するのではなく、いわば赤死病を呈するのである。ルカーチとはハンガリー人マルキシスト。共産主義化を目指すには暴力革命ではなく、むしろ各地の旧来の文化、風習、道徳・倫理、宗教といった伝統精神文化を破壊し、左翼に洗脳するために頭の革命をしたほうが確実であると考えた左翼である。 

自分でLGBTだ告白する彼らの性生活がどんなものであるかを知れば、どの親だって、誰だって嫌悪感を持つだろう。心の性と身体の性とを区別するあたりは心身二元論のデカルト流の古典的類型だが、ところがここで言われている心とは「欲望」であって理性と欲望の対置を考えれば明らかにマルクス主義的・共産主義的・ルカーチ・フランクフルト学派的な思考操作である。

神学的思考作業の前の哲学用語の概念整理

趣味のための覚書です。

神学という大海に向かって臨むときに哲学という浜辺で波打ち際に棒を使ってしばしの記憶として書きとめた足跡の魚拓をとっておきます。

以下はHorst Georg PoehlmannのABRISS DER DOGMTIK p.20-21の記事の私訳です。

補説
スコラ的アリストテレス主義の鍵概念はとりわけpotentia(力、効果、影響力)―actus(運動、活動、行動)、 forma(形相)―materia(質料)、substantia(本質)―accidens(偶有、非本質)である。彼の知識はスコラ学やプロテスタント正統主義、そのほかの神学史の理解にとって不可欠であるのでここでそれらの相互関係(並びにスコラ学的原因)を簡潔に解説され、明らかにされねばならない。

potentia―actus:potentia(希語dynamis)は発揮されず、未完の、非完璧な、可能な存在、つまり構想存在である。他方、actus(希語energia)を伴うと事実上発揮された、完成した、実現された、実際の存在、つまり現実存在と考えられている。たとえば、木材は彫像や机、椅子といったものへの力(Potenz)を行為(Akt)としてもっている。椅子は例えばそれ自体の側に一つの新しい行為へともたらされるための、つまり例えば保管庫や武器や薪に充てられるための力をもっている。被造存在は常に力(Potenz)をもった有限の種々雑多な行為(Akt)であり、つまり新しい諸現実への能力と資質を伴ったひとつの現実である。神のみが力(Potenz)の混入なき純粋なる行為(Akt)である(actus prus純粋行為)。(<行為Akt>は現代的な哲学的・神学的語法の中よりもスコラ学の中に別の意味を有している。)

forma―materia:forma(morphe)は形成する本質的形式であり、それは質料を詳細に述べ、質料に永続的形式と確実性を与える(causa formalisあるいは形相因)。materia(hyle)に関しては質料と思われ、それは形成されず、規定できるものである(causa materialisあるいは質料因)。形相と質料は行為と力の関係に等しい。Materia(質料因)は例えば机の場合なら木材であり、forma(形相因)は机の形状(足をもつ平板)である。

質料因と形相因の内的原事実から作用因(causa efficiens)と目的因(causa finalis)あるいは目的が識別される。机という実例の場合、製作者の指物師がcausa efficiensあるいは作用因であり、そのうえで食事をすることがcausa finalisあるいは目的因である。(原因論は今日的な語法において原因という単語がたいてい作用因についての狭い意味のみをもっているので時折もつれている印象を与える。)

substantia―accidens:substantia(ousia, hypostasis)は、自己の内にて立っているもの、すなわち自立的存在物であり、あるものの中で他のものであってはならないものであり、変化にもかかわらずそのままであるものであり、本質形式(=forma)あるいは事物の本質であり(本性あるいは本質とも呼ばれる)、accidens(symbebekos)は非自立的存在物であり、それは自立的存在物すなわち本質に伴い、本質に対してのみ存続性を有しており、事物の本質に帰属しておらず、消失しうるものであり、事物の偶然的なもの(ad+cadere)であり、つまりそれは事物にとって必然ではなく、むしろただ単に偶然にふりかかってくるものなのである。机の偶有性はその色、大きさ、重さなどであり、本質は机の机存在 、その存在形式(脚の付いたプレート)である。

アリストテレスは本質と9個の偶有性から成る10個の範疇を知っている。9個の偶有性とは量・質・関係・場所・時間・状況・状態(付属性)・行為・苦難である。

文献証明
トマス・アクィナス『神学大全』所収「実体と本質について」、『哲学的スコラ学大全』IB.A.C.98,マドリード、1964年、586頁以下、634頁以下、642頁以下、767頁以下、B.ケーリン、『哲学教本』I、1957年、第5版、76頁以下、108頁以下、145頁以下。

国民的アイドル ももいろクローバーZの哲学的考察

いまやAKBグループを凌ぐ、絶大な人気を誇るももいろクローバーZ。
このグループの人気ぶりを知る人は多いことと思います。
単にファン層が広いだけでなく、コアなファンは「もののふ」と呼ばれています。
また、芸能界にファンが多数存在しています。
さらに超一流アーティストが彼女らを支えたいとコラボを申し込んでいます。

そんな彼女らの人気の原因について多くの人が語っています。
たとえば、南海キャンディーズの山ちゃんは「自分の娘や姪っ子、親戚の子が頑張っているのを見て応援したくなるのと同じ」「甲子園を応援するような気持ち」といっています。その通りだと思います。
彼女らを支えるスタッフ側の創意工夫も当然あります。
いわゆる「仕掛け」。斬新な仕掛けの数々。過去のアイドルのコンサートにはみられなかったプロレス的な要素。

わたしは一般的な表現ではなく、また外枠的なものではなく、パフォーマーとしての彼女らとファンの関係性の中に彼女らの人気の原因を探りたいと思っています。

さらに、彼女らの人気ぶりは「国民的人気」と形容されるほどですが、なぜ「国民的」とまで言われるのでしょうか。
また老若男女を問わず彼女らは支持を得ています。なぜなのでしょう。
そんな彼女らの特異な人気ぶりの原因を哲学的に分析・析出してみます。

彼女らの国民的人気ぶりを二つの哲学的視座から分析してみました。
ひとつは道徳的価値観の視座からです。
もうひとつは現象学的リアリズムの視座からです。


では以下に芸能界を哲学的思考で斬ってみます。

彼女らの人気の原因を考え抜いてしまった。彼女らの人気の原因はなんなんだろう。

アイドルのダンスとは思えないほど、飛んだり・跳ねたり・しゃがんだり・走り回ったりのステージ・パフォーマンス。激しい振りや笑いを誘う珍妙なおどけ芸。それらを元気いっぱいに満面の笑顔でやってのけて、しかも生歌を披露。

その生歌は声と息遣いを通じて観衆に彼女らの歓喜と感激に満ち満ちた感情を直に伝わらせている。歌詞にも彼女らの等身大のメッセージが込められており、そこには背伸びは感じられないし、格好つけもないし、演技も感じられない。

いや、むしろそれらはあるのだろうが、まったくといっていいほど感じられない。それらを感じないのはなぜなんだろう?彼女らの演技力?彼女らはそこまで老練なのか?熟達しているのか?そうではないように思う。むしろ、もっとプリミティブなもの、そう彼女らが発揮できるもの、彼女らだからこそ発揮できるものではないか。

それが「本気」。本気度120%のパフォーマンスがステージという仮想空間をリアルなものに変貌させている。彼女らの本気さがリアリティを作り上げている。ステージ上の彼女らは彼女ら自身を観衆に本気でぶつけている。そして観衆は彼女らの本気さに圧倒されている。youtubeのこの小さな画面を通じてさえもそれは起きている。

彼女らの本気は日本人の道徳的心性をも満たしている。彼女らの本気度120%のパフォーマンスに日本人のもつ伝統的な道徳的価値観である一所懸命さ、ひた向きさ、まじめさ、全力、真剣さがひしひしと伝わってくる。観衆は彼女らのパフォーマンスにそれらを看て取り、「すばらしい」「いいな」「かわいい」と感じ、応援したくなる。こうした道徳的価値観の体現者は憧憬・尊敬の対象になる。ここにももクロZが日本社会において国民的アイドル、世界のももクロNo.1と呼ばれる道徳的根拠がある。

観衆は年齢に関わりなく、男女に関係なく誰もが彼女らの笑顔と振りと歌にひきつけられる。それはとらえられる感じであり、魂が鷲掴みにされる感覚である。哲学的に換言すると、今生きているがゆえに生き続けたいという無意識下の生の持続欲求が繰り出す力への指向が満たされるという事態ではないだろうか。

彼女らのステージ・パフォーマンスにおいてひとの無意識下の生の持続欲求が繰り出す力への指向を彼女らの生の力に満ち溢れた笑顔と振りと歌によって溢れんばかりに満たされ、力づけられる。それが「勇気をもらった」「力をもらった」「励まされた」と表現されているのでは?これがももクロZの人気の現象学的リアリズムによる哲学的解明であり、彼女らが国民的アイドルたる哲学的根拠である。

哲学バトンとやらをやってみました

ちょとと思って哲学バトンとやらをやってみました。

哲学バトン

Q1 哲学を始めたのはいつ頃ですか?
A1 人間関係の在り方について考え始めた小学校5年生頃
Q2 自分の中で仮にでも結論がでた問題はありますか?あればその結論を教えてください。
A2 哲学好きを標榜するのは哲学を単に好きだからなのではなく、考えないと気が済まないという性格上の理由からです。
Q3 哲学者として好きな人・尊敬する人、気に入ってる本を教えてください。
A3 プロティノス、ルター、カルヴァン、荻生 徂徠、M.ヴェーバー、ホワイトヘッド、A.カイパーら。Het Calvinisme、Luthers theologia crucisなど。
Q4 自分の思考の基盤となる考えはありますか?
A4 キリスト教神学。2000年間にわたって議論が続けられているキリスト教神学には考える作業の粋が詰まっています。
Q5 基本的に、精神論者ですか、唯物論者ですか?
A5 精神論者
Q6 世界の始まりや終わりについてどのように考えていますか?
A6 全知全能の神が世界を創造し、そのなかで人間は神と関わりつつ人生という悲喜劇を演じ、再び神は終わりに大きく介入するでしょう。
Q7 あなたのまわりの世界は美しいですか?
A7 世界を自然ととらえるとき、それは美しく、社会ととらえるとき玉石混淆といえます。
Q8 あなたはこの世界に満足しているといえますか?
A8 多くの点ついて満足し、感謝しています。
Q9 世の中のあらゆるものを導いている原理があるといわれて、信じられますか?
A9 信じられます。しかも原理という語感が持つ無機質で冷たいものによるのではなく、もっと人格的な何かが導いています。
Q10 最後に、あなたは知を愛していますか?
A10 知を愛します。知とは神からの賜物であって人生を豊かにしてくれるものです。

このバトンに回答する / 回答した人を見る

プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR