キリスト教の救いと偽の白系ユダヤ人ハザール人の末裔

イエス・キリストはユダヤ人である。変えrはアラブ系民族の顔立ちをしており、肌は浅黒かったはずである。ユダヤ人というと、欧米の白人のイメージがある。しかし、その白いユダヤ人はいわくつきである。白人系ユダヤ人はもちろんイエス時代にもいたことだろう。ギリシアの町々にユダヤ教の会堂シナゴーグがあり、そこには異教からユダヤ教に改宗したギリシア人もいたことだろう。彼らはまだいい。彼らは聖書の中でパウロが伝道した人々でもあろう。問題はもっと後に起こった出来事である。

その出来事とは、ハザール帝国の勃興である。ハザール帝国は7世紀に黒海・カスピ海を周辺を中心してできた国だった。宗教的環境はイスラム教とキリスト教(正教)に挟まれており、どちらかにくみすればその支配下に下るという地政学的問題があった。彼らが選択した道は、イスラム教でもなく、キリスト教でもなく、ユダヤ教を国教とすることだった。この白系ユダヤ人はそれ以後の歴史において迫害を受け、ロシアやポーランド名でも散らばった。そこでユダヤ人迫害という惨事に遭うのであるが、もちろん彼らもスラブ系住民を迫害していた。

そんな彼らが新天地にアメリカにわたり、金儲けに巧みな彼らの中の仲間は財を成した。いまや世界の金融界を支配するまでに巨万の富を築いた。そんな彼らはイスラエル国を建設した。エルサレムの地、イスラエルの地は我々ユダヤ人に神が約束してくれていた土地であると。聖書においても、イエス・キリストの誕生と贖罪死と復活以後ユダヤ人には何がしか特別の神の計らいがあるようだ。神の選びの民の身が救いにあずかる。

しかし、ハザール人の末裔は基本的にその選びの民ではなかろう。他の異教徒と同じくイエス・キリストへの信仰を通して神の国に入れる存在に過ぎない。だからこそ、いまのパレスチナの地にあるイスラエル国は紛い物であり、白系ユダヤ人は偽ユダヤ人である。彼らは本来聖書におけるがごとく尊重されるべきユダヤ人ではない。
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結婚について―聖書から

最近、改めて結婚について考えさせられる出来事があった。以下は三浦綾子さんの著作からの引用である。信仰をもって受けとめたい、受け取りたい言葉の数々である。

旧約聖書より

【もう独りではない】

主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。
彼に命を助ける者を創ろう。」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を
土で形づくり、人のところへ持って来て、
人がそれぞれどう呼ぶか見ておられた。
人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に
名を付けたが、自分に合う
助ける者は見つけることができなかった。

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。
人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、
その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
人は言った。
「ついに、これこそ
わたしの骨の骨
わたしの肉の肉。
これこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、
二人は一体となる。
                 創世記第2章18~24節

【主の家】

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
 
主は御名にふさわしく、
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも、
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。

わたしを苦しめる者を前にしても、
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ、
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り、
生涯、そこにとどまるであろう。
                 詩編23編1~6節

【家を建て守ってくださる】

主御自身が建ててくださるのでなければ
家を建てる人の苦労はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ
町を守る人が目ざめているのもむなしい。
                詩編127編1節

【祝福】

いかに幸いのことか
主を畏れ、主の道に歩む人は
あなたの手が労して得たものはすべて
あなたの食べ物となる。
あなたはいかに幸いなことか
いかに恵まれていることか。
妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。
食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
見よ、主を恐れる人はこのように祝福される。
                  詩編128編1~4節

【愛の喜び】

あなたの水の源は祝福されよ。
若いときからの妻に喜びを抱け。
彼女は愛情深い雌鹿、優雅なかもしか。
いつまでもその乳房によって満ち足り
常にその愛に酔うがよい。
わが子よ
どうしてよその女に酔うことがあろう。
異邦の女の棟を抱くことがあろう。

人の歩む道は主の御目の前にある。
その道を主はすべて計らっておられる。
                  箴言第5章18~21節

【花嫁のように】

わたしは主によって喜び楽しみ
わたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。
主は救いの衣をわたしに着せ
恵みの晴れ着をまとわせてくださる。
花嫁のように輝きの冠をかぶらせ
花嫁のように宝石で飾ってくださる。
大地が草の芽を萌えいでさせ
園が蒔かれ種を芽生えさせるように
主なる神はすべての民の前で
恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。
                 イザヤ書61章10、11節

【畏れと信頼】省略
【備えてくださる神】省略

新約聖書より

【神の結びあわせてくださった】

イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、
ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
大勢の群衆が従った。
イエスはそこで人々の病気をいやされた。
 
ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、
「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、
律法に適っているでしょうか」と言った。

イエスはお答えになった。
「あなたたちは読んだことがないのか。
創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
そして、こうも言われた。
「それゆえ、
人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。
従って、神が結び合わせてくださったものを、
人は離してはならない。」

すると、彼らはイエスに言った。
「では、なぜモーセは、
離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
イエスは言われた。
「あなたたちの心が頑固なので、
モーセは妻を離縁することを許したのであって、
初めからそうだったわけではない。
言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、
他の女を妻にする者は、姦淫の罪を犯すことになる。」
弟子たちは、
「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。
イエスは言われた。
「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、
恵まれた者だけである。
結婚できないように生まれついた者、
人から結婚できないようにされた者もいるが、
天の国のために結婚しない者もいる。
これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」
          マタイによる福音書第19章1~12節

【必要なもの】

あなたがたの天の父は、願う前から、
あなたがたに必要なものをご存知なのだ。
だから、こう祈りなさい。
「天におられるわたしたちの父よ、
 御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
 御心が行われますように、
 天におけるように地の上にも。
 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
 わたしたちの負い目を許してください。
 わたしたちも自分に負い目のある人を
 赦しましたように。
 わたしたちを誘惑に遭わせず、
 悪い者から救ってください。」
           マタイによる福音書第6章8~13節

【永遠の命を得るために】

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者は裁かれない。
信じない者は既に裁かれている。
神の独り子の名を信じていないからである。
         ヨハネによる福音書第3章16~18節

【わたしもあなたを罪に定めない】

イエスはオリーブ山へ行かれた。
朝早く、再び神殿の境内に入られると、
民衆が皆、ご自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、
姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、
真ん中に立たせ、イエスに言った。
「先生、この女は貫通をしているときに捕まりました。
こういう女は石で殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、
イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことがない者が、
まず、この女に石を投げなさい。」
そしてまた、
身をかがめて地面に書き続けられた。

これを聞いた者は、年長者から始まって、
一人また一人と、立ち去ってしまい、
イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。

イエスは、身を起こして言われた。
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。
だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
女が、「主よ、だれも」と言うと、
イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。
これからはもう罪を犯してはならない。」
          ヨハネによる福音書第8章1~11節

【愛~最高の道】

そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じて
いようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、
愛がなければ無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、
誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛がなければ何の益もない。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

愛は決して滅びない。
預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
わたしたちの俊樹は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、
幼子のように思い、幼子のように考えていた。
成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、
はっきり知られるようにはっきり知ることになる。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。
          コリント信徒への手紙1 第12章31節~第13章13節

【互いに重荷を担う】

互いに重荷を担いなさい。
そのようにしてこそ、
キリストの律法を全うすることになるのです。
実際には何者でもないのに、
自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、
その人は自分自身を欺いています。
各自で、自分の行いを吟味してみなさい。
そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、
他人に対しては誇ることができないでしょう。

めいめいが、自分の重荷を担うべきです。
御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と
持ち物をすべて分かち合いなさい。
思い違いをしてはいけません。
神は人から侮られることはありません。

人は自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
自分の肉に種を蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、
霊に種を蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
たゆまず善を行いましょう。
飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。
ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、
特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
                ガラテヤ信徒への手紙第6章2~10節

【互いに仕える】

キリストに対する畏れをもって、
互いに仕え合いなさい。
妻たちよ、主に仕えるように、
自分の夫に仕えなさい。
キリストが教会の頭であり
自らその体の救い主であるように、
夫は妻の頭だからです。
また、教会がキリストに仕えるように、
妻もすべての面で夫に仕えるべきです。

夫たちよ、キリストが教会を愛し、
教会のために御自分をお与えになったように、
妻を愛しなさい。
キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、
教会を清めて聖なるものとし、
しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、
聖なる、栄光に輝く教会を
御自分の前に立たせるためでした。

そのように夫も、
自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。
妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。
わが身を憎んだ者は一人もおらず、
かえって、キリストが教会になさったように、
わが身を養い、いたわるのです。

わたしたちは、キリストの体の一部なのです。
「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、
二人は一体となる。」この神秘は偉大です。
わたしは、キリストと教会について述べているのです。
いずれにせよ、あなたがたも、
それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。
                         エフェソ第5章21~33節

【妻と夫】

同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。
夫から御言葉を信じない人であっても、
妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。
神をおそれるあなたがたの純真な生活を見るからです。

あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは
派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。
むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので
飾られた、内面的な人柄であるべきです。
このような装いこそ、神の御前ではまことに価値があるのです。

その昔、神に望みを託した聖なる婦人たちも、
このように装って自分の夫に従いました。
たとえばサラは、
アブラハムを主人と呼んで、彼に服従しました。
あなだがたも、善を行い、
また何事も恐れないなら、サラの娘となるのです。

同じように、夫たちよ、
妻を自分よりも弱いものだとわきまえて
生活を共にし、
命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。
そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。
                       ペトロの手紙1第3章1~7節

【ここに愛があります】

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、
神は知っているからです。
愛することのない者は神を知りません。
神は愛だからです。
神は、独り子を世にお遣わしになりました。
ここに愛があります。

愛する者たち、
神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、
わたしたちも互いに愛し合うべきです。
いまだかつて神を見た者はいません。
わたしたちが互いに愛し合うならば、
神はわたしたちの内にとどまってくださり、
神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。
このことから、わたしたちが神の内にとどまり、
神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。
わたしたちはまた、
御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、
またそのことを証しています。
イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、
神がその人の内にとどまってくださり、
その人も神の内にとどまります。

わたしたちは、
わたしたちに対する神の愛を知り、
また信じています。

神は愛です。
愛にとどまる人は、神の内にとどまり、
神もその人の内にとどまってくださいます。
こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、
裁きの日に確信を持つことができます。
この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。
なぜなら、恐れは罰を伴い、
恐れる者には愛が全うされていないからです。

わたしたちが愛するのは、
神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
「神を愛している」と言いながら
兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。
目に見える兄弟を愛さない者は、
目に見えない神を愛することができません。
神を愛する人は、
兄弟をも愛するべきです。
これが、神から受けた掟です。

イエスがメシアであると信じる人は皆、
神から生まれた者です。
そして、生んでくださった方を愛する人は皆、
その方から生まれた者をも愛します。
このことから明らかなように、わたしたちがが神を愛し、
その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。

神を愛するとは、神の掟を守ることです。
神の掟は難しいものではありません。
神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。
世に打ち勝つ勝利、
それはわたしたちの信仰です。
だれが世に打ち勝つか。
イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
               ヨハネの手紙第4章7節~第5章5節




新型鬱病批判―要は共産主義思想が諸悪の根源

精神科医の銀谷翠さんという方が以下の動画で「新型鬱病は自己中」という面白い見解を示していた。
一理ある。見ていて、新型鬱病=自己中型適応障害だと感じた。

コメント欄には銀谷氏が鬱病をわかっていないとかいろいろと非難の声もあった。しかし、それらの非難は銀谷氏は鬱病を批判しているのではなく、あくまで新型鬱病を批判しているという視点が欠落しているがゆえのものだろう。さて、動画にも出てきた個人主義について思想史から反省を加えてみたい。

もともと個人主義はデカルト近代哲学と宗教改革期以降に発展・普及した。デカルトにおいて近代知の始まりとしての「我」の思索的自覚、そして教会を経由しない恵みの下での汝と我の関係における神と人間の関係論的自覚が個人主義を生み、発展させた。
ところが、共産主義思想が生まれたことにより、「権利」が神の言葉のごとく権威づけられ、この言葉の前にはいかなる組織もひれ伏す社会的ムードが作り上げられてしまっている。共産主義者は敗戦革命が思うように進展しない中、その原因を強固な社会倫理・道徳・宗教に見られる歴史的・伝統的精神文化に見た(ルカーチ、グラムシの影響を受けたフランクフルト学派)。それらを破壊することによって共産主義はスムーズに拡大すると考えた。そこで伝統的精神文化の破壊に向かう。これが文化マルキストの役割である。彼らが変態した個人主義を推進した。

元来の放埓を自由と呼び、強奪を平等と読み替え、いつしか自由と平等は権利という恫喝的鶴の一声を通して放埓と強奪を現実化あらしめられるようになった。新型鬱病を病気と認めさせる社会的ムードを創りだしたのもこの権利意識であり、権利を私利的に悪用する自己中心的気質が新型鬱病の実態である。結局のところ、放埓と強奪は共産主義革命(暴力革命)前夜の社会的実相そのものであり、今日に至るまで文化マルキストが工作してきた社会状態であり、それは無秩序であり、さらなる無秩序化を意味している。いわば無政府主義状態である。新型鬱病を病気と考える精神的土壌を作り上げてきているのはまさに共産主義である。問題は共産主義なのである。

タルムード・ユダヤ教に生きるユダヤ人はその選民思想を先鋭化させ、ゴイム(異教徒=豚)思想をもっている。そんなユダヤ人が迫害される中、ドイツのユダヤ人カール・マルクスによってユダヤ人救済思想としてつくられたのがマルクス共産主義である。自己中の権化である選民思想を持つ共産主義者が目指す社会においてそれを実現するための一手段としての社会無秩序化の一契機としての新型鬱病はまさに自己中と表現して何ら間違いではなかろう。

新型鬱病はただの自己中!?

迫害されるユダヤ教の諸相―原因・過程・今日的結果

ユダヤ教の選民思想がタルムードにおいて先鋭化されてゴイム(異教徒=豚)観念が発達し、タルムードによる洗脳がいわゆるユダヤ人(ユダヤ教徒)を狂気の人種差別主義者に仕立て上げている。

ユダヤ教徒はこの人種差別思想に基づく自己中心性ゆえに歴史的に欧州で嫌悪され続け、迫害されてきた。他者を侮蔑・差別するからこそ、彼らこそが忌み嫌われ、差別されるという状態である。選民思想に源を持つゴイム観念こそがユダヤ教徒優越思想の本体であり、この世界観こそがユダヤ教徒の生き続ける力、生き続ける理由となっている。

この考え方はユダヤ教徒のルソーにおいて社会思想へ発展し、カール・マルクスによりユダヤ教徒救済論たる共産主義思想として政治・経済思想としてより体系的に理論整備され、世界共産化を目的としたコミンテルンにより共産化革命(敗戦革命)のため戦争が共産主義者によって惹起され、暴力革命に成功しなかったことの反省からジェルジ・ルカーチの思想を継いだフランクフルト学派により文化マルキストという異名家らによって各種メディアを通じて、また法を通して伝統的精神文化ー特に欧米ではキリスト教、他文化圏では土着宗教ーが批判され、破壊され続けている。

日本もその例外ではない。支那事変もコミンテルンの指導下にあった中国共産党による中国共産化のための連続テロであり、日米開戦もコミンテルン指導下での敗戦革命を目的とした日本共産化方法の一手順であった。これがユダヤ教の中核である選民思想歴史的現実である。ユダヤ教はかくのごとく危険な宗教であり、それから発展したタルムード・ユダヤ教は悪魔の宗教であり、人間の上に人間を置く、世界で最も歴史のある人種差別思想である。

こうしたユダヤ教の選民思想に歴史上反抗し、そして後に世界的な宗教の教祖とされているのがイエス・キリストとして世界的に知られているナザレのイエスである。但し、キリスト教にもイスラエル(要するにユダヤ教徒)の救済的優越性やユダヤ教徒同様のキリスト教徒のための選民思想が残っている。この選民思想を強調したのがフランスの宗教改革者ジャン・カルヴァンである。彼の思想は欧米ではカルヴィニズムとして知られ、資本主義を発展させる諸契機(例としては利息を信仰に反するものではなく、認める態度をとった。マックス・ヴェーバーはその著『資本主義の精神とプロテスタントの倫理』においてカルヴァン派(改革派)信仰における選民たる証としての勤勉性の強調を指摘した。カルヴァン派キリスト教徒(改革派信徒)の勤勉性尊重は、いわば自由資本主義社会体制下で大資本家への労働奉仕を正当化し、過剰化させた。結局、カルヴァンによってユダヤ教徒の選民思想がキリスト教徒の世界で普及した。また、カルヴァンの資本主義に関する許容性がキリスト教文化圏におけるユダヤ教徒の利潤増殖を公然化ならしめた。キリスト教にその母体とするユダヤ教と類似面があることは想像に難くない。これがキリスト教の光と闇のうち、闇の側面である。

あるアメリカ人牧師の勝手な言い分への反論

youtubeでアメリカのバプテスト派の牧師スティーヴン・L・アンダーソンが日本人はキリスト教の神、聖書の神を信じていない。神が不在であるとし、ひきこもりや北野たけし、草食系男子などの時事用語や有名人を挙げて異教国家の悪い例として批判しています。

その動画の紹介文がこれです。
以下引用
Original Title: "The Bad Example of Japan" - On sanderson1611
This sermon exposes the bad example of the nation of Japan. This nation has rejected God, Jesus and the bible and their culture has been destroyed as a result. The majority of men in Japan are unemployed Video game losers that are to afraid to live in the real world! Also a lot of them have completely given up on pursuing romantic relationships with women. This sermon is not judging Japan because of their Culture, it is Judging them because they have forsaken God. In reality any nation is in danger of falling into this trap. Without God a nation will fall into wickedness beyond belief.

Churches site: http://www.faithfulwordbaptist.org/

Churches YouTube: https://www.youtube.com/user/sanderso...

My site: http://www.servischillzone.com
引用終了


次のような反論コメントを残しました。
Religion forms moral and morality. The religion Ethnical standards are very high in Japan. Japanese people is the highest quality through general revelation of God. Japan is full of common grace of God. I've always thought there is something wrong with the American. Those movies they produce for example, some of them are so graphic and violent and overly sexualized it's disgusting to watch that stuff. Matthew 7:18King James Version (KJV); A good tree cannot bring forth evil fruit, neither can a corrupt tree
bring forth good fruit. Great sermon Pastor, you criticized the cultural marxist who destroys traditional spirituality and mentality of American and the marxist who made go to the Pacific War by the red president Franklin Delano Roosevelt. How does this preacher think about Globalism which destroys the economic and political balance in the world? At least, this great sermon Pastor should preach and scold about no Hikikomori but rather active persons who enjoy murder with gun.

https://www.youtube.com/watch?v=X2YoIumJ7v8 下をクリック!
日本を非難するアメリカ人牧師
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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