平成後の日本に期待すること

平成後の新しい元号下はできれば新憲法発布、最低でも改憲をはじめとして法律全般をより社会常識を反映させ、社会実態に即した誰もが法を信頼し、期待を寄せ、希望を委ねることのできるような時代にすべきだ。日本国民は、ルカーチ・マルクス主義的な文化マルキストによる、共同体の秩序を破壊する伝統的価値観の否定や国家存亡の危機に瀕する行き過ぎた平和主義=軍事不要論を峻拒すべきであり、毅然とした新体制の国家形成邁進すべきである。
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ももクロという仏縁

ももクロの"Gounn"という楽曲をご存じだろうか。Gounnとは仏教用語の五蘊のことである。五蘊とは仏教で人間存在を構成する要素をいう。以下にこの楽曲の動画のURLを張っておくので一度聴いてほしい。

歴史上、宗教と芸能は強く結びついているものだが、戦後政教分離、教教離(宗教と教育の分離)以後、宗教と芸能の結びつきも公には忌避される傾向があった―かび臭い、胡散臭いとして。そんな70有余年を経て、ももクロの登場。これほどにまで芸能と宗教と映像が結びついた事象は稀有であり、画期的で驚愕に値する。

楽曲における仏教用語の頻出、仏教的要素を取りいれた衣装、ステージ上の仏教美術の展開、あからさまな宗教揶揄や顰蹙を買うような要素もない。宗教文化史において、仏教文化史においてコラムにでも取り上げられてしかるべき現象である。彼女らの存在は確かに大衆に元気を、勇気を、力を、笑顔を提供している。これもひとつの衆生済度の姿であろう。また、仏教的なものに多くの人が触れる機会となっていることは一つの仏縁である。gounn

過度の女性保護・・・フェミニズム

貧困の現場で奉仕団体が実は女性を性的に搾取しているという。なんか善意が世界中で当然のごとく行われているが、それはそれで気持ち悪い。人間はそんな博愛精神にかられた行動をするものではない。日本でならいざ知らず世界標準ではかならずえげつない見返りが要求され、そこにはや役得が横行しているというか、それがあってこそ世界は回っている。セクハラを糾弾したMetooに始まる、女性の性的人権を守るという立場のニュースが最近多い。左翼フェミニズム運動の亢進ということだが、もともと伝統的性道徳を猥雑にし、性道徳の崩壊を招いたのはユダヤ・マルクス主義の伝統にあるフリーセックスムーヴメントであり、そこから女性の人権保護が謳われ、フェミニズムの活動が活発になってきている。女性を性的受け身から解放するとともに、性的被害から守るというわけである。

しかし、性的行動を積極化させ、かといって男性からのアプローチをは拒むとは要するに女性中心主義社会の勃興を目指しているようである。そうして伝統的男性中心主義社会にセックステロで殴り込みをかけ、そうした社会を転覆させようとしている。しかし、これまで男性が中心となり社会が動いていた体制を転覆させることによって男性の不満が高まり、暴力的犯罪が多くなるだろう。そうして秩序はなくなる。女性には腕力がなく、暴力を結局は制圧できないからである。

そうすると、社会全体の生産性は低下し、成長はなくなり停滞する。元来、女性は被害に耐えられるように生物学的に構成されており、社会の矛盾をその身に受け止めるようにできている。そのために目先のことにのみ注意が向く傾向が強く、将来の展望には注意が向かない。それだからこそ被害者側で生きられるし、その犠牲があってこそ社会は回り成立っしている。逆に男性の場合は目先のことに注意が向かず、将来を見据えている。そして将来つまり希望が無くなった時、男性は生きる力を失い、自己あるいは他者の破壊へと走る(自死や凶悪犯罪)。どちらが耐える社会が集団の将来にとっていいのか。フェミニズムが積極的に現代にまで至る伝統的秩序を盛んに破壊している中、考えるべきである。

ももクロの楽曲の特性・・・宗教文化史の観点から

ももクロの初期の楽曲である「僕らのセンチュリー」。

この歌詞の中で「主は来ませり」という夏菜子のソロ部分がある。

これはキリスト教のフォーミュラ(定型句)で>>私たちの主イエス・キリストが父なる神とともにあった高き天から我々のもとにやってきた<<キリスト生誕=いわゆるクリスマスの出来事)を意味している。

こんな宗教句が随所にちりばめられているのもももクロの楽曲の特徴というか、他のグループには見られない特異な部分である。
あとメロディーにも結構讃美歌からの借用がある。

他にも神道や仏教にコミットしたものがあり、日本社会に根差し、日本人を取り巻く宗教文化の伝統をしっかり把握している点は文化史的に非常に価値がある。

動画⇒
僕らのセンチュリー

建国記念日に思う草莽の志士の思い

勤王の志士の国を憂う熱き思い。長州藩の久坂玄瑞が文久二年(1862)1月21日に土佐藩の武市瑞山にあてた手紙(一部)。

勤王の志士の思いは藩論とはならず(上層の武士に聞き届けられず、藩全体の論にならない)とはならず、はがゆい思いをしていた。

「ついに諸侯頼むに足らず。公卿頼むに足らず。草莽の志士糾合義挙の外にはとても大義なれば苦しからず。両藩ともになく候とも、恐れ多くも皇統綿々、万乗の君の叡慮貫き申さずては神州に衣食する甲斐はこれなきかと、友人共申居り候ことに御座候」
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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