有安脱退後のももクロの今後への雑感

私は数年前にももクロの人気を道徳的・心理学的・哲学的に分析したコメントを残した。この度の有安卒業に際しては>>杏果ロス<<後のももクロの動向が気になるところだ。ももクロ崩壊の序章ではないかと恐れている。以下のリスクが予想される。

①グループとしての歌唱力の低下(ユニゾン部分でこれまで有安が主旋律を正確に歌う中で、ときおり音程を外す高木・玉井・佐々木がフォローされていたが、今後はその担保がない。上記3人がソロ部分で音を外しても、別の部分で有安の高度な歌唱テクニックでカバーされ、耳障りな悪印象が払拭され、全体的にはいい感じにまとまっていたが、今後はそれが不可能になる。)   

②有安onlyのファンがももクロを離れる。最悪ライブ動員数は3割減を予想。   

③有安の次に歌唱力のあるリーダー夏菜子の負担が増す。   

④有安が担当していたパフォーマンスの代行が不可能なために、グループとしてのパフォーマンスの幅が狭くなる。   

⑤歌唱力やパフォーマンスの低下をもとにこれまで目立たなかったももクロ批判が再々聞かれるようになる。   

⑥少女グループから娘グループへの脱皮は終えたが、これから大人の女性グループへの脱皮が必要になる。それに不可欠だった有安が欠けた以上、その脱皮の軸になる人物がいない。   

⑦これまで魅力の一つだった、ほかのグループにはないワチャワチャ感を大人のアイドルグループとしてどう卒業・克服するのか。ワチャワチャ感からある程度距離をとっていた有安がいればこの移行はより容易だったはず。   

⑧有安の強烈な個性がサビにあった名曲がお蔵入り   

⑨新曲の音楽的な幅が狭くなる。   

⑩有安脱退劇に潜む闇の部分に起因したももクロ陣営の士気の低下   

⑪「〇〇〇なのに×××」という>>意外性<<がももクロの売りだった。その意外性の半分を担っていたのが有安。その特異なタレント性(賜物)の欠損に伴い、この方面でももクロに好意を抱いていた、モノノフやファンとまではいかない人々が一気に興味を失う。

⑫新生ももクロ自身も今後のライブにおいて自分たちのパフォーマンスが不十分であることを自覚し始め、納得できず、努力はするものの、如何せん絶対的な潜在能力の欠如はいかんともしがたく運営側やグループ内において不満が生じ、有安時代のような連帯感は徐々に失われていく。   

⑬高度な歌唱技術と真摯な態度においてアーティスティックなパフォーマーとして芸能諸分野から好感を持たれていた有安の存在が欠けた以上、有名アーティストとのコラボや楽曲提供のチャンスが少なからず失われた。

安易に「ピンチはチャンス!」などとは言えない事態ではある。ただリーダーの百田が存在する以上、ももクロは存続しうる。有安が欠落してパフォーマンスのレベルは下がるものの、ももクロがなくなるわけではない。有安が抜けてもももクロは存在するが、百田が抜ければももクロはあり得ない。百田次第な面がある。百田をはじめとした新生ももクロのかわらぬ本気の取り組みと運営陣営側の時宜に適ったバランスの取れた絶妙の取り組みが期待される。
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ももクロの有安杏果さんが卒業&芸能界引退

ももクロの有安杏果さんが卒業を発表した。「まさか」の驚きだ。
ももクロは5人すべてがキャラが立っている。そのなかで加入当初から歌とダンスで魅せてきた彼女。

たくさんのおもしろ・おかしいエピソードとその小動物的な愛くるしさと言おうか、それともぬいぐるみ的な可愛さとでもいおうか、とにかく愛嬌ある表情が万人受けし、さらにプラスアルファして小さな体を大きく使っての全力パフォーマンスが健気で愛おしかった。

残される4人のメンバーの卒業を受けての発言もしっかりしている。記憶と記録に残るグループであり、観衆に未来への―明日への希望と、困難に立ち向かう勇気と、電撃のような感激と歓喜に巻き込まれる形で生きる力を与え続けてくれた。

そのグループの中で彼女の真摯な態度はファンを癒してきた。モノノフの間では杏果ロスが大きいことと思う。

お疲れさま。そして今までありがとう。幸せになってください。

うどん―日本国内最大の不健康食品にして環境悪化食品

うどんか。香川県は糖尿病罹患率が全国でも1,2を争うほど高い。これは食生活に問題があるのは常識。香川の有名な食と言えば「うどん」。このうどん中心の食生活が糖尿病の原因であることは医療従事者でなくとも容易に想像がつく。また、香川県は昔から水不足が問題。うどんづくりには大量の水を無駄に使う。水不足の原因はうどんである。うどん文化が香川県の不健康と水資源の枯渇を生んでいる。うどん食を禁止することが問題改善の最善手なのに、それをしないという香川県民の愚かさ。世の中から最もなくなるべき不健康食品はうどんである。同時に環境悪化食品はうどんである。

諸分家には総本家を尊重してほしい

ちょっとした愚痴になる。私の家は某県の某部落の某家であり、その県できわめて多い姓名のひとつであり、その総本家である。総本家であることの証拠に先祖八幡(八幡神を先祖神として祀っているということはその家が昔武士の家系であったことを示している)と地域の特殊な伝統宗教(この宗教を信奉しているのはその家が旧家であったことの証拠)を家の宗教としてきている。山奥の片田舎で総本家としてそこから動かず、転居せず、細々と本家としての営みを続けているのである。

その営みとは先祖神に祀り日に我が家の幸福と平和と繁栄を祈っているということだ。総本家の家長はその家の祭司である。「我が家の」というとき、それは総本家がそういう時それはあらゆる下々の分家を含めた〇〇家全体ということである。ということだから、総本家から各部落に分かれ、そこの本家となっている文絵k本家や、さらにそこからわかれた無数の分家のことを祈り願っているわけだ。こうした総本家を顧みてほしいわけだ、諸分家には。分家であれば、地縁・血縁的しがらみのさほど強くなく、やすやすと他地域へ転居できるだろう。しかし、総本家はそうはいかないし、第一「家」を護らねばならない。。何百年と続く先祖代々の土地に住まい、地域の伝統と習俗、土地を守りつづけている総本家を分家は気にかけ、経済的・精神的・物理的に支えてほしいものだ。

人の生と死について

人の生と死。生の場合、それは生まれると言い、受動的表現。死の場合、それは死ぬと言い、能動的表現。

人は自らの意思で自らを生むのではなく、あくまで母親に生まれる。

人は生まれて成長し大人になる。大人になるのは突然完成されるわけではなく、死の瞬間まで大人になり続けていく。

その間に自らの終わりの時と場所と意味を探すのが人生経験。自らに自らにより終いをつける、それが死。死は能動性を持つ。人に託された最後の自由。その自由の行使が死。最後の時を選ぶのはあなた自身。

人が死を思うとき、それは今その自由を行使する瞬間が訪れているという機会。

苦悩から解放される、魂の自由が今まさにあなたの意思にかかっている。

死はあなたの心の扉をやさしくノックしている。

死は決して身勝手なものではなく、卑怯なことではなく、逃げではなく、負けではなく、そうした価値観を超えたところに、そうした基準がない世界の広がり。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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