諸分家には総本家を尊重してほしい

ちょっとした愚痴になる。私の家は某県の某部落の某家であり、その県できわめて多い姓名のひとつであり、その総本家である。総本家であることの証拠に先祖八幡(八幡神を先祖神として祀っているということはその家が昔武士の家系であったことを示している)と地域の特殊な伝統宗教(この宗教を信奉しているのはその家が旧家であったことの証拠)を家の宗教としてきている。山奥の片田舎で総本家としてそこから動かず、転居せず、細々と本家としての営みを続けているのである。

その営みとは先祖神に祀り日に我が家の幸福と平和と繁栄を祈っているということだ。総本家の家長はその家の祭司である。「我が家の」というとき、それは総本家がそういう時それはあらゆる下々の分家を含めた〇〇家全体ということである。ということだから、総本家から各部落に分かれ、そこの本家となっている文絵k本家や、さらにそこからわかれた無数の分家のことを祈り願っているわけだ。こうした総本家を顧みてほしいわけだ、諸分家には。分家であれば、地縁・血縁的しがらみのさほど強くなく、やすやすと他地域へ転居できるだろう。しかし、総本家はそうはいかないし、第一「家」を護らねばならない。。何百年と続く先祖代々の土地に住まい、地域の伝統と習俗、土地を守りつづけている総本家を分家は気にかけ、経済的・精神的・物理的に支えてほしいものだ。
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人の生と死について

人の生と死。生の場合、それは生まれると言い、受動的表現。死の場合、それは死ぬと言い、能動的表現。

人は自らの意思で自らを生むのではなく、あくまで母親に生まれる。

人は生まれて成長し大人になる。大人になるのは突然完成されるわけではなく、死の瞬間まで大人になり続けていく。

その間に自らの終わりの時と場所と意味を探すのが人生経験。自らに自らにより終いをつける、それが死。死は能動性を持つ。人に託された最後の自由。その自由の行使が死。最後の時を選ぶのはあなた自身。

人が死を思うとき、それは今その自由を行使する瞬間が訪れているという機会。

苦悩から解放される、魂の自由が今まさにあなたの意思にかかっている。

死はあなたの心の扉をやさしくノックしている。

死は決して身勝手なものではなく、卑怯なことではなく、逃げではなく、負けではなく、そうした価値観を超えたところに、そうした基準がない世界の広がり。

ももクロ紅白卒業

紅白ではももクロの青春賦やLinkLinkを聴きたかった。それでも紅白出場を毎年目標にやるというのは、もうすでに3度も経験があるだけによろしいのではないかとも思う。

紅白そのものが1960~70年代の国民的行事クラスの番組では昨今なくなっている。
ももクロの紅白卒業歓迎。

3年というと、短期大学や専門学校の就学期間と同じ。ももクロとその陣営はいい勉強をさせてもらったと考え、もののふは計り知れない感動を与えてくれた一つの出来事として記憶に残し、語り継いでいくことだろう。

ももいろクローバーZ創造秘話

昨日、ももクロのエコパスタジアムのコンサート、夏の大騒儀のライブビューイングにいってきた。
家に帰り、youtubeでももいろクローバー時代のメンバー早見あかりの脱退についての動画をあらためて見て、以下のようなことを思った。

ももいろクローバーが脱皮し、6人のメンバー各々が成長を遂げる契機となったあかりんの脱退劇。残った5人は、これまでのアイドルグループがかつて経験したことのないアイドル界異次元の高みへと向かっていくことになる。このあかりん脱退の痛みはももいろクローバーがももいろクローバーZとして発展的解消するのに必要とされた負のエネルギーだった。この負のエネルギーに惑乱された時、これを乗り越えるためにメンバー各自の意識が変化していった。とりわけ夏菜子のリーダーとしての自覚が深められると同時に拡大され、強固なものとされていった。

そして彼女らのその意識は大人たちのつくる壁を乗り越える度に練度を増し、アイドルとしてのカリスマ性をその小さな体躯に帯びていくこととなる。負のエネルギーはこのとき各自のアイドルとしての意識と自覚の刷新を生み出し、ももいろクローバーZとして新生するための正のエネルギーをもたらした。このあかりん脱退劇こそがももいろクローバーZ創造秘話の核心である。

殺人犯の人権を守る人権的非道

殺人事件について、その関係者の人権保護を謳うのは正しい。

殺された被害者とその遺族はニュースネタとなり、人権は無視され、実名・年齢・正確・行状の報道されている。
被害者の名誉はどうなるのか?
かえって加害者はいつのまにかその責任の所在は生育環境や社会に求められる。
そして丁重に扱われ、人権はしっかり守られ、刑に服するとしても三食昼寝・安心・安全・完全医療つきである。

本当に自らの犯した罪について真の後悔と反省をしているのなら、それを自死という自己制裁で実現するべきである。

あらゆる殺人犯に対して、たとえ法律に基づいて死刑という判決が下らなかったとしても、真に反省をしているのならば生まれ変わった自分という意識から自死というかたちで自己制裁を下すことを通してその真の反省を示し、詫びるべきである。刑務所暮らしはそれを実行するまでの猶予期間とすべきである。

一向に自死に至らぬ犯罪者は真の反省をしていないとみなし、死刑を執行するべきである。あるいは最終法廷の判決分に1か月という期間を定め、猶予期間を与え、それを過ぎても真の謝罪表明である自死を決行しない場合には反省を示さぬ極悪犯罪人として死刑に処すとの文を添えておくの一案である。

心を改めてまっとうな社会生活を送ることや刑務所暮らしで刑期を全うすることが被害者へのなによりの供養になるというのは、加害者側の自己保身の勝手な論理である。そんなものでは供養にはならない。殺害されるときに被害者がもった恐怖・無念・激痛・苦悩・憤怒はそんな偽善で払拭されることはない。

死に対しては死でもって応えるのが道理である。死刑廃止論が世界的な潮流であるが、これはキリスト教が世界にまき散らした精神的害毒であり、被害者の人権を冒涜する行為であり、セカンド・マーダーである。
プロフィール

 軽部勇人

Author: 軽部勇人
A missionary in this Cyber Church

職業:医療関係
過去には10年ほど某教会の牧師をやっていました。他にもアルバイトを含め、さまざまな仕事を経験してきました。

趣味:哲学書・神学書の翻訳味読、歴史書精読(近現代史)・戦国史研究、民俗学研究

特技:ランニング
35年以上やってます。
10代は走力の限界への挑戦。
20,30代以降は身体的・精神的カタルシス効果の獲得。

信条:近現代史に関して、おそらく日本でオンリーワンの認識をもつミッショナリーです。反日活動家の侮日発言や特亜三国の歴史捏造に対してプロテスト(抗議)します。

なお、統一教会、ものみの塔、モルモン教会とは関係ありません。

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